NY再デビューコレクションを終えて② | 桂由美 オフィシャルブログ 「桂由美のユミチャンネル」 Powered by Ameba

NY再デビューコレクションを終えて②


前回の続きです。



私は帰国後すぐに輸出に慣れているシルクのメーカー数社に

声をかけました。


一般的なサテンやタフタ、オーガンディは問題なかったのですが、

どうしても私はタフタのように薄くて軽いサテン地―サテンタフタを

メイン素材にしたかったのです。


一番難しい課題と皆さんから断られましたが、桐生の1社が挑戦して下さり、

理想に近いものを作ってくれました。


次の問題はレースです。

当時一部のエンブロイダリーレースをのぞいては

私たちはほとんどフランスのレースを使っていました。


シルクもフランス、イタリアのものが多かったのです。

しかし私のデザインがフランスのまねごとと位置付けられる事を恐れ、

何としても日本製のレースでドレスをつくりたいと考えたのです。



当時ユミカツラ寝装具のライセンシーであった

サイボー株式会社の飯塚社長に

私の思い ― 純粋にMade in Japanを貫きたいという思いをぶつけました。


「わかりました、やってみましょう!

しかし今から5種類のレースを創ることは至難のわざ、

我が社も臨時体制をしいてやりますから、桂さんもそのつもりで

至急柄のデザインを出して下さい。そしてレースの図案を起こした時、

当然何回か訂正が入ると思いますが、

すぐその日中に訂正案を出すようにして下さい」

心強い回答を得て、30点のドレスの製作が始まりました。



アメリカ人のサイズでパターンを起こす者、

私の指示でレースの模様をおこす者皆必死でした。


こうして3カ月、サテンタフタが出来、レースが揃いました。


さぁ、いよいよ縫製です。


ユミカツラのドレスの特徴はオートクチュールテクニックを駆使したもので

なければならないというのが私の今も変わらぬポリシーです。


当時アメリカに多かった単純なラウンド、スクエアーのネックライン

ではなくスウィートハートネックラインを多くしました。


袖も当時はパフスリーブが全盛でしたが、単純なパフスリーブでなく

エレガントにみえるさまざまな工夫をしました。

そしてオリジナルなレースでいろいろな柄を作り、

その上にパールをとばしてつけました。

更に裏を返してレースの乗っている部分だけドレス地をくりぬき、

透かしにしたのです。この技法によるサテンタフタと

オリジナルのギピュールレースの組み合わせで、

今までどこにもなかった格調高く優雅なドレスに仕上がりました。

こうして私は30点のドレスを携えてニューヨークにとびました。


そして3日間、Saks Fifth Avenue, Naiman Marcus などの

有名デパートのブライダルサロン、
Kleinfeldのようなビッグのブライダルハウスから続々とオーダーが入りました。

ちょうどその年、チャールズ皇太子とダイアナ妃のご成婚があり、

私の出した品格・優雅・浪漫をコンセプトとしたシルクのドレスが

アメリカのバイヤーたちの求めているものにぴったりだったのです。


「こういうものがほしかったのにアメリカのメーカーではどこもやっていない」

「ダイアナ妃のドレスのようにロマンチックだけれど全くコピーではない」と

皆口々に感想を述べていました。


一番象徴的だったのはBergdorf GoodmanとHenry Bendalは

道一本しか隔てていない競合のデパートで、同じデザイナーを入れない

というのが通説だったのですが、

嬉しいことに2店とも取り合いになり、仕方なく私のこの6型はGoodman用、

この6型はBendel用としたくらいでした。


その際マーケティングを担当してくれた

SAVVY3の上田富久子社長と

美人の2人のアメリカ女性(Mrs.Gail PincusとMrs.Irene Narissi)

も喜々として飛び回ってくれました。

New York Post紙にはスマッシングデビューとして紹介されました。


そしてアメリカではニューヨークブライダルフェアが年2回あり、

そこに全米の主なバイヤーが集い発注する、

ぜひ我が店でも扱いたいのでこれに出てほしいという希望があいつぎ、

次回からはこのブライダルフェアに参加、ショーを開くようになりました。


アメリカの高い年齢の花嫁の為に考案した日本のおひきずりの美からヒントを得た
スレンダーラインは誰もやっていなかったことから、

ニューヨークのバイヤー・メディアの間で「ユミライン」と名がつけられましたが、

今やこのラインは世界中に広がっています。

そんな順風満帆のように見えて

なぜ今回の再デビュー=つまり撤退を余儀なくされたかと思うでしょう?

2年ほどたった時から各メーカーは

これに似たテクニック・デザインを出してきたのです。

この時今回提携したImpressionの社長のようなパートナーが現れていたら

今頃Yumi Katsuraはアメリカを代表するブランドになっていたことでしょう。


加えて円高の進行です。
1981年は1$240円だった時代ですから、日本からの輸出による

航空運賃・関税がかかっても十分引き合っていたのですが、

円高でだんだんプライスが高くなり、日本の人件費の上昇も加わって、

各店では発注したくても高すぎて手が出なくなったのです。


加えてアメリカにもメーカーブランドだけでなくデザイナーブランドも出てきて

ブライダルファッションが多様化して来ました。

日本の3倍の230万カップルが毎年誕生するアメリカで

ワンパターンだったアメリカの市場に

一石を投じた私の役割は終わったかに見えました。


ですが、その後もずっとショールームだけはと

依頼してきていた社長:Paulette女史から

今回のImpressionのライセンス契約が提案されたのです。

私のブランドは現在中国マーケットにおいて

ブライダルの高級ブランドとして次第にその名が広がりつつあるので、

これを見越してここ2・3年海外ライセンスの話は出ていましたが、

私は日本においても中国においても

私のオリジナルのオートクチュール感覚のドレスを創り上げ、

それに適した販売網を築き上げられるメーカーとしか

ライセンス契約をしたくないと思ってきました。


今回アメリカではじめて社長のNick氏とデザイン・製作・販売・宣伝の各面で

意見が一致し、今回のようなニューヨーク再デビューになったのです。

私は今中国に2人の息子(と呼んでいるビジネスパートナー)が

上海と大連にいますが、
Nick社長にはアメリカにおける息子になってほしいと言いました。

そして彼は今私を「New Mother」と呼んでいます。



写真はアメリカの息子― Nick社長との初めての発表作品の一部です




桂由美 オフィシャルブログ 「桂由美のユミチャンネル」 Powered by Ameba


桂由美 オフィシャルブログ 「桂由美のユミチャンネル」 Powered by Ameba


桂由美 オフィシャルブログ 「桂由美のユミチャンネル」 Powered by Ameba