借金マンのクズ女、ユメヤブです、、、

今思うと、Sちゃんって妹に似ている
妹に似ているからSちゃんを好きになってしまったのかな
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自分の生まれた家から現在までを書こうと思っていたカテゴリがあります「借金生活になった経緯」

私が中学受験をするところで止まっている

妹のことを書くついでに少し子供の頃のことを忘備録的に書き散らします、、、
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ユメヤブは本当に変な子供でした

チックの症状に加えて変な癖があった

自分の視界に入っている人や物の数を声を出して数えてしまう癖です

例えば、エレベーターに乗っている時や移動教室の時。

「いちにーさんしー、、、じゅうななたすにじゅうごはよんじゅうににーーーん!」
とか叫んでしまう
エスカレートすると「まゆげははちじゅーよーーんこー」「てあしはひゃくろくじゅうはちほーーん!!」
大人たちは困っていたと思う

この癖、実は今でも心の中でやってますあせるあせる


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そんな私、叔母ちゃんの取り計らいで
難関の部類に入る中学受験に合格してしまう

家からは通えないので親戚の家から通学するように話が進んだ

でも、、、

父は叔母ちゃんが勝手に進めた私の受験に怒り狂った
この時叔母ちゃんは瓶で顔を殴られ
顎を何針も縫う怪我をした
血まみれだった

私のせいだ、全部
私が父親の近くにいれば
みんなが表向きは平穏でいられるのに、、、
自分のことばかり考えたから
おばちゃんが怪我をして
妹は殴られ
お母さんは私をさらに嫌うんだ


私の進学については
母は気持ちを二転三転させた

最初は父親を男として満足させている自分の娘が憎らしくて厄介払いをしたかったんだろう
受験にも協力的だった


しかし突然、気分が変わる。



やっぱり地元の公立に通いなさい!



私は藁にもすがる気持ちでお母さんに味方になって欲しいと懇願した
どうしても家から逃げ出したかったんだ



その時、母が放った言葉が忘れられない




「⚪︎⚪︎が1人になってもいいんか?」





妹です。

母は妹を守りたかったんだ

母は私を盾にして妹を守りたかったんだ

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結局、中学は地元に通うことになった
そうする事で、みんなが落ち着く
父も夜中は痛いことをするけれど
終われば優しくしてくれる

せっかく叔母ちゃんが私を逃そうと苦心してくれたのに全部台無しになってしまった

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高校も地元の高校に通う
妹は守られているようだった

父親と私の関係は続いていた
最中はいつも違うことを考えながら演技をした
早く終われ、早く終わってくれ、、、と思いながら。

母は変わらず見て見ぬふりをしていた

叔母ちゃんは時々私をハグして泣いていた

高校三年
私はもう感情が爆発寸前だった


大学受験。
ここで私は逃げ出さないと一生奴隷のままだ

妹のことなんてどうでもいい
むしろ、母に大切にされている妹が憎い!


いくつか大学を受けた
ここで、私は初めて親への反抗という行動に出た

家から通える地元の大学は答案を全て白紙

全力で挑んだのは、東京都内の大学のみ。
それも親にバレないように、東京に受験に出向かなくても済む受験方式でひっそりと合格した


もう心が限界で。

実家から逃げ出したい一心で。
合格しても両親は絶対に上京を許さない


だから家出をしたんです

叔母ちゃんと、叔母ちゃんの友達とそのご主人が私の受験と家出を手伝ってくれた

私の部屋には
父親との行為の動画を残した。


「私を探して連れ戻すなら警察にこの動画を持って行って保護を求めます。証拠はこれだけではありません。暴力のほとんどを動画で記録しています。以上」

これを見た父は包丁を持って暴れたらしい


学費、アパート探し、引越し費用、入学金、前期の学費。
全部おばちゃんが出してくれた


出発の日、私は泣いて泣いてほんとうに泣いて叔母ちゃんにお礼を言った


叔母ちゃん「ユメちゃん、あなた。感謝する必要はない。そんなことせんでいいけん。でも⚪︎⚪︎(妹)に同じ事をしてあげなさい。あんた、⚪︎⚪︎の事憎らしいとやろ?それはだめよ。ゆめちゃんと⚪︎⚪︎は2人とも幸せになる連帯責任があるよ。絶対に自分の人生を取り戻して、⚪︎⚪︎のことも救いあげなさい。⚪︎⚪︎は私と××(母)が絶対守るけんね。ユメちゃんは守ってやれんかった。本当に悪かったと思っている。あんたのお父さんが怖くて反抗できんかったんよ。だからこれが私の償いの形だけんね。ごめんね」

叔母ちゃんと抱き合って泣いた


あれ以来、私は父親とも母親とも会っていない
連絡先も教えていない
もう十年以上



私が家出をして数年後。
もうこの頃私はギャンブルの沼に首まで浸かっている状態だった
叔母ちゃんにも申し訳なくて、連絡を無視するようになっていた


そんな時に妹が私に連絡をしてきた
東京に1人で出てきた、会いたい、お姉ちゃんの家に泊まりたい


胸がざわつく。