おつかれさまです〜えーん


借金マンのクズ女、ユメヤブですえーん


明日、お給料日!


全額下ろして、夕方からスロット打とうと思っていたんだけど

同僚から飲みに誘われてしまったえーん

いつもならスロット優先なんだけど、

仕事の相談があるらしく、、、付き合うことに



はぁ。



23日、24日はSちゃんと温泉。


25日は風俗のバイトの面接。

もし、会社にバレずに副業できるのなら、、、

昇進人事を受け入れてこの会社に居続けようかな、という方に65%傾いてきている



あんなに

会社辞める、会社辞めてバイトする、高待遇の会社に転職する!

って騒いでたのに、コロコロ気持ちが変わって申し訳ないです


全ては面接の後に決めようかと。



チューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップ

今の私は、本当に色んな意味で

崖っぷちのすれすれのところに

つま先立ちしている状況


ちょっと風が吹けば、

あっという間に

闇の中に堕ちていく



十分に自覚している。


心を病んで死んでしまう、まであると思っている


その前に、ちょっとだけ自分のことを晒させてください

今まで生きてきて、家族以外にこの事実を話したことがありません



なんで今更、こんな不特定多数の人がみるブログに

私の恥を晒すのか、

自分でもよくわかりません!


自傷行為に近いのかも?



これ以下は、私の今までのことを書きます

色々盛り込みすぎて、長くなってしまわないように、簡潔に何回かに分けて書いてみます


身バレが怖いです

少しでも兆候があればすぐに削除しますえーん



胸クソ悪い話です


似たような経験をした人がいたら

フラッシュバックとかあるかもしれません


自己責任でお願いします


本当に胸クソ悪い自分語りです



チューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップチューリップ

『やぶ家の紹介』


私の育った家は

の4人家族。
あとは家に住み込んでいたおばちゃんが1人



実家の場所は、大きく大きくぼかすけど
地方都市から
電車とバスをいくつか乗り継いでたどり着く
山間部の田舎町です
 
父は、地元ではかなりの地位のある人だった
いわゆる、事業主です
そして、田舎なので広大な土地や山もあった

可笑しいくらい裕福な家でした

父は
とても穏やかで、
優しくて、
世話好きで、
人望も厚く、
みんなに慕われていたと思う

お正月には
たくさんの人が家に挨拶に訪れて
それを母やおばちゃんが準備していたお料理でもてなす、、
お祭りみたいなお正月だった

お年玉もたくさんもらった
お歳暮やお中元もひっきりなしに届く。
その包みで、かまくらを作って妹と潜って遊んだりしてたー


母は、芸能人みたいに綺麗な人だった
黒木メイサに似てるかな?
黒木メイサわかる?名前違ったかも
よくみんなが似てるって言ってた
都会のお嬢様育ちだったようで
華やかな人だった
そして日本で1番難しい大学を卒業している


家は大きな塀に囲まれている
敷地にはいくつか建物があった
昔ながらの古民家?みたいな家

一緒に生活していたおばちゃんは
食事を用意したり、洗濯や掃除もしてくれていた
この人のおかげで、家はいつも掃除が行き届いていて美味しいご飯を毎日食べることができた



と、ここまでは外側から見たやぶ家の印象。



実際のやぶ家は、、、



リアルジュラシックパーク
家には怪獣が住んでいた
そのパーク内で、
私たち女4人は何の武器も防具もなく
右往左往して逃げ惑っていた




父は家では全くの別人格
気に入らないことがあると、
無言で無表情で暴力を振るう

母も妹も、おばちゃんも、私もほぼ毎日殴られていた

何が地雷かわからない



やぶ家のルールで
「父が仕事から帰ってきたら、玄関まで迎えにいく」
というのがあった
でも、小学校1年くらいの時かな?
父が帰宅した時、
ちょうど私はお腹を壊してトイレに篭っていた

出迎えることができなかったんよね、、、

体調悪かった、そんなことは父には通用しない。
「ゆめは?」
母が、ゆめはお腹痛くてトイレから出てこないことを伝えると父にとってはこれが地雷だったらしく
トイレのドアを蹴破って、うん⚪︎最中の私を引きずりだし
無言で殴られ、蹴られ、、、最後は素っ裸にされて外に追い出されたことがあった
その時は一晩玄関の前で素っ裸で立ち尽くしていた





母は、、、才色兼備を絵に描いたような人だったが
実は片付けやお金の管理などが出来ない人だった
会話は意思疎通が難しい
話していても目まぐるしく話題が変わっていく。
ついていけなかった

今はこういう人の呼称として
ちゃんとした名前があるよね
「発達障害」
だったんだと思う

家の手伝いをしてくれるおばちゃんがいないと
家の中は一気にゴミ屋敷になってしまう




妹、、、、妹は唯一、天使。
私より4つ年下。
顔立ちは母親譲り。
まつ毛長くて、目が切れ長で大きくて、、、
そして誰からも愛される存在

のはずだったんだけど、成長するにつれて
私と並ばされて容赦なく父から殴られて育った



家で父親から折檻を受ける時
絶対にしてはいけないことがあった

それは、泣き叫ぶこと。

今ならその理由がわかる

隣近所に声が届いてしまうからだ


泣き叫ぶと、さらに暴力は苛烈になっていく

私はいつも違うことを考えて
泣かないように、声を出さないように耐えていた
「あと何回くらいで終わるかな?」
「倒れる時、あそこには割れたお茶碗があるからあそこに手をつかないようにしなきゃ」

平手打ちは嫌だった
拳で殴られる時は、お腹や背中だけど
平手打ちは顔を叩かれる
顔を叩かれると
鼻の奥がツーーーンとすると同時に
感情を伴わない涙が溢れてくるから。

泣くと余計に殴られる
それが嫌だった


妹は妹で必死に涙をこらえている
いつも、目には涙がいっぱいでこぼれ落ちそうなのに
父に泣いてるのがバレないように
ぴょんぴょん飛び跳ねて笑っていた
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、笑いながら、殴られていた
殴られた小さな体は、簡単に吹っ飛んでいく



私たちが折檻されている時、
母は、無言だった
母の気持ちはわからないけれど、
母も殴られていたので自分を守っていたのかもしれない


お手伝いのおばちゃんは、震えながら家事をこなしていた
私が大学生になってから知ったんだけど
このおばちゃんは、
お手伝いさんではなく
父のお姉さんだった
離婚されて、地元に戻ってきて
兄である私の父の家に一緒に住んでいたんだって。
私も18になって初めて知るくらい父はおばちゃんの存在を隠したがっていた。






こんな家で
私は育ちました

産まれてから高校3年までこの家で生活していた、泣ける、、、

今はさ、よくニュースになるよね?
虐待

コメンテーターの人や専門家の人が
「どうして周りの人が気づかなかったんだ」
とか、
「子供が助けを求めてSOS信号を出していたのに、なぜその信号を見逃してしまったのか」


違うんよね
そうじゃないパターンもある。
私たちやぶ家の全員が、この家の中の真実を必死に隠していた。
私も学校ではいつも元気で明るくて、幸せに生活している自分を演じていた
妹もそう。
母もそう。
精一杯、幸せを演じていた

そして父も、
外では私たち姉妹を自慢の娘、と話していた

なんで隠していたんだろ。
「助けを求める」っていう発想自体が無かった
そういう事を知らなかった
今書いた、素っ裸で外に追い出された時。
隣の家に助けを求めてもよかったんだと思う

でもその時私は
「誰にも見られてはいけない」
と玄関のドアに額を押し当てて息を潜めて朝まで過ごしていた



友達はたくさんいたが、
誰も私の家に招いたことはない
みんな不思議がっていた
この家の秘密は大学入学まで守られていた

そして中学、高校になると更に地獄が待っていた