衝撃的な内容を含みます、
苦手な方はスルーお願いします。











12月4日
母から電話で死んでるみたいだと。。。

こういうときって救急車?警察?

救急車でいいけど、死亡届の書類は
◯◯医院にお願いしりん(しなさい)

バタバタと私も駆けつけた。


おじは4人兄弟の長男だった。
母は末っ子、家に着くと三男の奥さんがいた。

「おじちゃんはまだお風呂にいるの?」
「そうみたい」

警察も来てるし、早く顔を見たくて向かった。
お風呂の水は抜かれていた。
おじちゃんはひざを抱えて
少しうつむくような感じだった。

一歩お風呂場へ踏み込み
顔をやっと見れた。

その顔は眠ってるようだった。


ホッとした。

仏間にみんな集まっていた。

母が言うには
郵便物の確認のために立ち寄ったところ、
テレビがつき、日中なのに天井の電気が煌々とつき、
違和感を感じ、
床に広げてあった新聞が
11月25日だったので
(毎日愛読していた)
え!?となり、
郵便ポストを見に行くと新聞がたまっており、
お風呂場まで見に行ったところ、
顔が半分水に浸かっている状態だったので
死んでるみたいだと
恐くなって電話して来たらしい。

1日6合を飲む大酒飲みだった。
台所には鍋いっぱいに作った鍋料理が
腐り、炊き込みご飯だったであろうご飯が
炊飯器の中でカピカピになっていた。
お酒はゴミに片付けられておりどれが当日飲んだものか分からなかった。
お風呂の水は救急隊が到着する前に抜くように
指示を受けて母が抜いたらしい。

警察は
普段使いの通帳をすごく気にしていた。
見つからないって30分くらいは
捜索していた。

遺体が運び出されたのは
暗くなりかかった頃だった。

遺体は一度検死に出され、
その後警察が体を調べると言っていた。

早ければ今日のうち21時とかと言われ、
葬儀屋に連絡をしていた。

法事事をする家の準備を始めていた。
お風呂はヘドロだらけだった。
おそらく、内容物が出ていたのだと思う。
お湯で洗い流しておいた。

洪水のとき水が引いたら水撒けって
Xに描いてあったのを思い出したからやった。

19時前には警察から終わりましたって
連絡が来たのだが、
葬儀屋さんが21時というので
21時に夫と合流してから
お迎えに行った。


死亡診断書は警察が呼んだ医師によって
書かれていた。

不詳内因とされていた。

事故でもないし、体の内側で
なにか起こったんだけど、
日にちが経ちすぎていて特定まで至らない、
外傷なし、原因不明とされていた。
死亡時刻は
11月下旬と大ざっぱだった。

明日のために
廃品回収に新聞は片付けられていた。
明日のために
鍋を作っていた。
明日のために
車には出掛ける準備がしてあった。

急にこんなことが起こるなんて。。。
本日はご遺体預かりますって葬儀屋さん。
ありがたい、帰ろうとなった。

買い物のレシートは
11月25日のものが最後だった。
おそらくその日、
母はばったりおじと買い物で会っている。
コシが曲がって見えて、
「もっとしっかりシャンと歩きんよ(歩きなさいよ)」
と声をかけたのが最後だったそうだ。

私が思い出せる最後は
新聞を広げてテレビを見ている姿で
「またねー!」と声を掛けると
「はーい」って返事してたことくらいかな。。

葬儀は家族葬でやると、
決めていた母。

次の日、顔を見ようと棺の窓を開けると、
なにも見えなかった。

葬儀担当者が開けてくれたが、
ジップロックみたいなのに入っていたキョロキョロ

顔は
にこやかに
テヘペロ顔だった。

お風呂で寝ちゃったテヘペロ、みたいなキョロキョロ

絶対に笑っちゃいけないんだろうけど、
私には愛着が持てる顔だった。

葬儀喪主は
発見者だった母がやった。
通夜式はやらず、顔見たい人は
自由に来てねーという形だった。

枕経だけお寺さんに上げてもらった。

会場外に名前も出さなかったので
本当に限られた人しか葬儀には来なかった。

葬式大、お寺さん、死亡診断書あわせて
80万も掛からなかった。

妹のときは200万も掛かったらしい。

三男夫婦があーだこーだと
言うたびに母が
裏でキレ散らかしていたニコニコ 

これからが大変かもしれない。。