◆水戸実家朝房山の碑が変わっていました、
えっ、あの山に、伝説があるの?
家族で移り住んで、かれこれ50年、
そんな物語を、誰も知りませんでした、
死んだ、母や父に、聞かせてやりたかったなあ、
兄が元気なので、次回、話してみましょう、
晡時臥山(くれふしのやま)は常陸国風土記の那珂郡の条に記された山。この山についていくつかの民話・伝承が残されている。茨城県水戸市、笠間市および、城里町に跨る朝房山であるとされる。
常陸国風土記では晡時臥山の伝承は下記のように伝えられる。
茨城の里の北にある高い丘に晡時臥山があり、努賀毗古(ぬかびこ)と努賀毗咩(ぬかびめ)の二人の兄妹が住んでいた。妹の努賀毗咩の元にだれとも分からない求婚者が夜毎に現れた。妹が求婚を受け入れると一晩で身ごもり、やがて小さな蛇を産んだ。この蛇は夕暮れから夜明けの前までは母と会話ができた。努賀毗古も努賀毗咩も神の子ではないかと驚き、清めた坏に蛇を入れ祭壇に祀るようになった。蛇は一晩で杯いっぱいにまで成長したので、大きな杯に取り換えると、また蛇は杯いっぱいになるまで成長した。これを繰り返すうちに蛇に合う器が無くなってしまった。努賀毗咩は蛇に自分では養いきれないので父の元へ行くよう促した。蛇は悲しんだが、供に童子を一人付けてくれるよう頼んだ。努賀毗咩がここには兄と私しかいないのでつけることができないと告げると、蛇はこれを恨んだ。別れの時、蛇は怒って努賀毗古を殺し、天に上ろうとした。驚いた努賀毗咩が盆を取り蛇に投げつけると、神蛇はこれにより天に上ることができなくなり、この山に留まった。蛇を入れていた器は今でも片岡村に残されている。
常陸国風土記原文は次の通り。
茨城里自此以北高丘名曰晡時臥之山古老曰有兄妹二人兄名努賀毗古妹名努賀毗咩時妹在室有人不知姓名常就求夜来晝去遂成夫婦一夕懐妊至可産月終生小蛇明若無言闇与母語於是母伯驚竒心挾神子即盛浄杯設壇安置一夜之間已満坏中更易瓮而置之亦満瓮内如此三四不敢用器母告子云量汝器宇自知神子我属之勢不可養長冝従父在不合有此者時子哀泣拭面答云謹承母無敢辞然一身獨去無人左右望請矜副一小子母云我家有母与伯父是亦汝明知當無人相可従爰子含恨而事不吐之臨決別時不勝怒怨震殺伯父而昇天時母驚動取瓮投觸子不得昇因留此峯盛瓮今存片岡之村其子孫立社致祭相續不絶
朝房山は、水戸市・笠間市・城里町にまたがる山であり、『常陸国風土記』に記述されている「晡時臥山」と推定されている。山のふもとに住んでいた努賀毗咩という娘が生んだ蛇が大きく成長したため追い出され、天に昇ろうとしたが果たせず、この山の峰にとどまったという。
敬具