死生観 | ぷぁんきーの部屋

ぷぁんきーの部屋

哲学的視点で占い師してます。メタ認知的内観を習慣にしてます。

「死ぬ」ということ。

人間誰しも、生まれて死ぬ。


死ぬことは避けられない。死なないものはいない。

肉体としては…


今日は現実的、肉体的なレベルの話。


「死ぬ」ということに、凄く恐怖がある。

私はありました。めちゃめちゃありました。

たぶん、誰しも少なからずあるのではなかろうか…。


大切な人、大切な家族が死ぬ時。

この世界から、いなくなってしまった……という寂しさや悲しさがある。

私達は多かれ少なかれ、自分以外の他者との依存関係があるから。関係が深い人ほど悲しみは大きい。

悲しいだけじゃなくて、何で!と、少し恨む気持ちもあったりね。


日常でも、大切な人が大病したら死んでしまうのではないか…とめちゃめちゃ不安に襲われるし。



私は、小学校3年生の時、末期がんの父と最後まで自宅で過ごすという経験をしたんです。


日に日に父の肉体が劣化し、やせ細り、生理的機能も麻痺して、寝たきり。

そんな父のお世話、下の世話、家族でやった。

最後の意識がなくなって救急車を呼ぶまでの3ヶ月家族みんなで最後まで一緒に過ごした。


その時からか、特に「死」というものに対して、私はずっと恐れがありました。

死ぬということが怖い。病気が怖い。人間ってこんな風に死んでいくのか…と子供ながらにそう思ってました。


それから数年の間に、まぁ死に目に合う(笑)

立て続けに、ひいばあちゃん、じいちゃん、ばぁちゃん、知らんおばちゃん(笑) 

何故か死に目に合いまくる子供時代。

(この知らんおばちゃんの持ち家を、この後母が購入して母の地元の長野に引っ越すこととなった。私このおばちゃん死んだの見てるからさ、最初1人でその家入られへんかったよ怖くて(笑)。その話は置いといて…)


もうね、

死というもんがどんどん怖くなります……(笑) 


そして大人になって、

10数年前、母も癌になった。

数年後再発で二度目の治療もした。


その時も、癌は怖い…父みたいに母が死ぬかもしれない……怖い…いなくなっちゃったら寂しい…… 

母の再発の時は二人目の子がお腹にいて…情緒不安定気味で凄く不安になった覚えがあります。

(おかげさまで母は今元気になってます😊)


でね、私はずっと「死ぬ」ことが怖いって思ってたんですよ。


でも、微妙に違ったの。


4年前、自分が癌になって、そんなにステージは悪くなかったんですが、リンパ節転移があったので、多臓器への転移の可能性が0ではないから結構不安で。

その時、率直に死にたくないなーって思いました。


死にたくない理由もいっぱい出てきました。子供が小さいからとか、子供が可哀想とか、親が悲しむとか…

でもこれは建前で。


とにかく怖い。

この時の恐怖は「肉体的に死ぬのが怖い」という、死ぬということに対する恐れ、やと思ってたんです。


でも、その時の恐怖をただただ味わってみたとき、ある晩、気づいたんです。


肉体が死ぬことが怖いのではなく「この世界から、私だけ存在が消える」という存在感が無くなることへの恐怖だったんです。「感」です。


確かに肉体が死ねば存在しなくなるわけだから、同じこと言うてるって思いますよね? 


この微妙な違い。上手く言葉で言えないけど。

でも体感と言うか、感覚的に私の中では大きな違いでした。


肉体が死ぬことじゃなくて、

「存在感がなくなること」が怖かったんです。


あっ、私は存在感が無くなることが怖いのか…


そう思ったら、何だか不思議と病気が怖くなくなって。やれる治療は全部やろうと迷いなく即決できたんです。

ちゃんと再発や転移のパーセンテージの説明も聞いた上で抗がん剤やること選んで、あとは超前向きに治療してたと思います。


そこから死生観が微妙に変化しました。


存在感って「感覚」は、肉体レベルというより、

もう少し霊的レベルな感じというか…

この世界に、存在していたいという想いの強さというか… 執着ですね。執念。想念。


あの時のあの感覚。

今、精神世界や形而上学を学ぶ上でとてもいい体験になってます。


人間の恐れの最後の砦は肉体の「死」だと思います。


肉体の死という一つの通過儀礼に、私達はどれだけ囚われ、心が揺れるか。

そこには悲しみ、絶望感、欠乏感、憎しみ、怒り、色んな感情が渦巻きます。


それだけ人間にとって「死」は大きなイベントでもあり、そして死ぬということが、避けられない最大の罰のようにも思えます。

死の形も様々で、それは時に残酷なものもあります。


死ぬまでに人生をどう生きるか?


これだけ翻弄される「死」というものについて、私はずっと考えてきたように思います。

何のためにここで生きているのか?もずっと疑問でした。


根暗か!! と突っ込みますね…(笑) 自分に🤣


でも、この自分の死生観が、今後の人生の目的に絡んでくる気がしてるんです。

ここに、根本的な癒しに繋がりそうな、何か。

何かは今まだわからないけど。


これだけ自分が死にこだわってきたには、何かワケがあるんではないかと。


だから、こうして今の気持ちを書いて残しておこうって思い立ちました。


何もまとまらない話だけどね。




ゆめみる宝石Instagram

ゆめみる宝石Facebook 

ゆめみる宝石ホームページ・ブログ 


 【提供中のサービス】

セキセイインコ黃飛び出すハート意識改革のための深層心理講座 

詳しくは↓↓↓

※ZOOM120分✕全3回 33000円



魂の進化と陰陽五行 講座 

ZOOM90分3000円



ZOOM120分 8000円


*************************************************


 お問い合わせはお気軽に🤗

お申込み、お問い合わせは



ダイヤモンドFacebookグループ『ファンキーの部屋』

交流目的ではない、ただの資料館ニコニコ

ヘリオセントリック関連、月の欠損、恒星パラン、セルフコンパッション、エニアグラム、陰陽五行の思想、冥王星についてなど、

過去に開講してきた講座テキストを全て無料公開しています。

こちらをポチッと ※承認制