進行胃がんと戦う旦那さまの闘病記

進行胃がんと戦う旦那さまの闘病記

2017年12月22日に胃がん・多発肝転移でステージ4。余命告知を受けました。進行が早く、抗がん剤治療も奇跡を呼べず8か月間の闘病を経て、2018年8月21日52才で旅立ちの日を迎えました。

このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として

始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、

現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。

 

 

 

 

8月14日 例年だとこの日は実の妹と私の叔父が住んでいる

沼田にお墓参りに行き、夕方前に家に帰り、軽食の準備をして

家族みんなで花火大会に行くのが恒例となっていました。

この花火大会は娘が生まれた時からやっていて、

毎年8月14日に開催されています。娘が生まれてから大雨で

行けなかった(花火大会は雨天決行してますが)以外は

欠かさず行っていて我が家の恒例行事になっていました。

 

今年は雨も降らず、いいお天気。

8月1日に主治医から最後の余命宣告を受けた時、主治医、

看護師、旦那、私の4人が部屋にいて、余命と今後の治療予定、

今後の過ごし方などを話している時、私が

「外出はできますか?」と主治医に聞いてみると主治医は

「体調が良ければいいですよ。」

「ほんとですか?実は今月14日に神楽で花火大会があって、

毎年行ってるんですが、去年は雨で行けなかったので、

今年は行きたいと思ってて、花火大会の会場まで歩くのは無理

だと思うので、ここから車いすを借りて行って、花火が見える

スーパーの屋上から家族一緒に見れたらいいなと思って

いるんですが・・・ダメでしょうか?」

「いえ、いいと思いますよ。是非行ってきて下さい。体調が良ければ

外泊してきてもいいですよ。」

 

この時は家族で見る最後の花火は絶対に行けると信じていました。

自分の中で思い出になる花火にしようと色々考えていました。

まさかこの4日後に旦那の容態が急変するとも知らず・・・

 

夜になり、花火の打ち上る音が会場から随分と離れた病院まで

聞こえてきます。私は病室のカーテンを開けて、窓から外を

覗いてみました。ベッドから起き上がる事のできない旦那に

少しでも花火を感じてもらいたくて、

「Kちゃん、今日は神楽の花火大会の日だよ。音聞こえる?」

 

初めは音だけで花火は見えませんでしたが、終わりに近づき

連続で打ち上る大輪のしだれ柳。晴れた夜空が明るくなる程

何発も何発も打ち上ります。

「Kちゃん見える?聞こえてる?花火、きれいだよ。」

「みんなで見に行きたかったね。」

旦那に話しかけながら、これが本当に一緒に見る事のできる

最後の花火・・・そう思うと涙が溢れて止まりませんでした。

ベッドから花火は見えていなかったかもしれませんが、音は

聞こえていたと思います。誰よりもこの花火大会を楽しみに

していた旦那。持って行った軽食をつまみにビールを飲みながら

打ち上る花火を見るのが大好きでした。

最後となってしまうけど旦那の記憶の中に残せたと信じたいです。

 

花火大会も終わり、旦那の状態はちょっとずつ終わりに向かって

いました。義弟は依然として帰ってくる様子はありません。

そんな中、色々と中継役をしてくれている義妹からパスポートの発券が早くできるかもしれない。そんな話を聞きました。

なんでも家族の余命や急変が証明できる診断書などを提出し、

面接が通ると早く手続きができるらしい。とのことで義妹から

「診断書とか今の様子がわかる書類とかありませんか?」

と言われたので、8月5日の急変時に医師から渡された

「病状説明」をコピーして渡すことにしました。

これには病名 胃がん・癌性腹膜炎・多発肝転移と書かれ、

急遽血液検査を行った結果、急激に肝臓・腎臓の数値が悪くなり、

肝不全・腎不全などの多臓器不全への進行。今後は

高カリウム血症と致命的な不整脈を起こすリスクと死亡のリスクが

あることなどが書かれていました。

義妹は「多分これで大丈夫だと思います。」と言って義弟が

1日でも早く帰国できるように奔走してくれました。

 

そんな事があってから数日後、面接などを終え、無事に発券手続きが

できるようになり、17日にフロリダを出てアメリカから日本到着が

19日。夜には旭川に到着するという事が、義妹からのメールで

連絡が入りました。やっとやっと会わせてあげられる。

 

でも、私は複雑な気持ちでもありました。帰国するのはとても

嬉しい。旦那が誰よりも待ち望んでいたに違いないと思うから。

色々な事情があって、彼も彼なりにむこうで懸命だったのも

十分わかってるけど、もう少し早く、せめて生の会話ができて

いた時に帰ってきてくれたら、今の現状ももっと違っていたかも

しれない。兄として顔を見ながら話したい事はきっと山ほど

あったはず。それを一番望んでいたのに今となってはもう

会話などはできるはずもなく、ひょっとしたら帰って来たことでさえも

理解できないかもしれない。今回は義妹のお陰で結果が

ついてきたけど、義弟1人だけだったら・・・帰って来れなかった。

帰ってきたとしてもすべて終わってからという事になっていたの

かもしれない。そんな事が脳裏に張り付いて、大喜びとはならず、

なんとか間に合いそうだという事に少しだけ安堵した・・・

 

お願いだから 間に合ってほしい。 今はそれしかない。