吉村昭さんの「海も暮れきる」、村上護さんの「放哉評伝」、それと「尾崎放哉句集」を
立て続けに読みました。
(注;マンガではありません(笑)
中学の時に習った「咳をしても一人」という句の迫力に、どんな人だったんだろうと気になってたので。
東京帝大を出て保険会社に就職、エリートだった放哉は、お酒で身を持ち崩して、寺男として各地を転々とし、最後はみすぼらしい庵で病に斃れ、飢餓の中で亡くなります。
月15円もらってた人が、年に4円で、お米も買えず、麦粉を溶かして食す生活、それも、親兄弟に頼れない事情で、俳句仲間に無心し続けて、返す当てもないお金を仕送りしてもらっての命つなぎ。哀れで辛かったです。
隣家のシゲさんが、無償で下の世話までしてくれて、仏様のようでした。ささやかな光でした。

身を掻き毟るような孤独の中で、放哉は時にユーモラスな、時に絶望的な手紙を毎日、力の限り書き続けます。
実は楽しい人だったんじゃないかと思わせるような句も残ってます。

「ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる」
「茄子もいできてぎしぎし洗ふ」
「あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる」
「なんにもない机の引き出しをあけて見る」
「歯をむき出した鯛を威張って売る」
「あらしがすつかり青空にしてしまつた」
「そうめん煮すぎて団子にしても喰へる」
「用事の有りそうな犬が歩いてゐる」
「すぐ死ぬくせにうるさい蠅だ」

ツイートのようななんでもない句ですが、ピュアで感受性の鋭い人だったんだろうなと思います。
今の中学の教科書には
「入れ物がない両手で受ける」
が載ってます。
托鉢してた頃の作でしょうね。迫力です。
「こんなよい月を一人で見て寝る」
「足のうら洗えば白くなる」
も有名ですね。

たぶんこれからも、手の届くところに置いといて、ときどき開く句集になりそうです。