会社事務所を片付けていたら、妙なところから白い紙に包んだ塩が出てきた・・・(笑)

 

以前の私は塩の浄化を信じていたんですよね。

ミスや嫌な事が続いて不都合な流れになったら、

逃れたくて、なんとかしなくてはいけないから、浄化の塩!

白い紙に包んで持ち歩く、車に置く、会社の電話・キーボード・机・棚・・あちらこちらに。ww

 


コレは塩に限らず、そういったグッズ、

自分以外に頼る、すがることが多かった頃。

 

 

いまとなってはおまじない。

浄化というより、、、

不安思考・不安妄想を止めてたのね。

 

 

塩や何かで気がすめば、思念が止まるから

不安エネルギーを発しなくなる。

なのでちょっと気楽な流れになる。

 

 

ほんとに気休め。

気を休めている。止めている。

 

 

 

 

 

気休めの【気】は不安や焦りや怒り、罪悪感、恐れという気配だったな。

 

それには、その感情に至るエピソードやバックグラウンドがあるけど。

 

 

 

とどのつまりは執着だった。

 

その理由、感情、思い出に囚われて、握りしめて手放さないカタイ意思ね。

 

 

気休めで一時的には状況は良くなっても

なんとかしようと、コントロールすることを

アキラメてないから塩や頼りにするアイテム・ツールの数は増えてしまうんよ。


 

 

 

 

 

 

確かにね、必要だったときもあったの。

自分でどうにもならない程、

現状こじらせて、身心病んだような時、

ゼロに戻すために、携ることで助けてもらったと思う。

 

チカラをかりてフラットになって、知恵も増えても、

そのまま自分以外にチカラを求めていると、いつまでも塩やらお守りやら自分以外の誰かを必要としてしまう。

 

 

 



そんな執着は必要ないと気づくと


不穏なエネルギーが自分に悪影響を及ぼしている・・

というオソレがどんどん減っていくから

当たり前だけど、元気になっていくの。



ぜんぶ気のせいだったと分かる。

おまじないは必要でなくなるよね。

 

 

手放すのはとんでもなくコワイかもしれないけど。

崇めてると、ソレを手放すって選択すると祟られそうな気がするかも。

ハマっているほど、、手放すのは恐いよね。

(【崇】【祟】字がそっくり。)

 



重いね~


そのカタイ括りが無くなったら楽なのはまちがいない。

 



【そのままで大丈夫】

この言葉を執着で誤魔化さず潔く信じきってみよう。

 




 

怖がり気配敏感な私が恐山に行っても何もなく、むしろ体調良くなるパワースポットになるのだから。

 


端っこ(岬とか)へ行くと妙な気配のところもあるの。

でもね、ワタシが楽しいから明るくなるよ。