兎にゆかりがある神社といえば、出雲大社(いなばのしろうさぎ)なんだけど。
住吉大社も、また違った意味で兎に縁があるらしい。
住吉大社と兎
兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政11年(211)辛卯年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです。
だから住吉三葉松も、わざわざ「卯年卯月卯之日」って書いていたのね💡
本殿も過ぎて南の方。
「卯の花苑」
住吉大社がこの地に鎮座されたのは、遠く神功皇后摂政十一年卯の歳卯の月卯の日と伝え、五月最初の卯の日に行なわれる 「卯の葉 神事」は、住吉神に卯の花の玉串を捧げ、神威の更新を祈る重要な神事である。
卯の花はユキノシタ科のウツギという落葉低木で、品種が多く、日当たりのよい山野に自生し、かつては住吉境内にも群生していたというが、今はその多くが失われている。
これにより、住吉名勝保存会では大阪市の協力により、北海道南部から九州までのウツギの自生地を調査し、 築山の土壌を改良し、山の形を整えて、現存する日本のほぼ全品種を移植し、昭和六十一年、ここに住吉大社ゆかりの「卯の花苑」を造成し、後鳥羽院皇子 光台院親王の歌碑を併せて建立した。
この卯の花は、「浅沢の杜若」 「車返しの櫻」とともに、古代・中世以来の歴史と伝統を伝える住吉の三名花として、永くこの地の季節を彩り続けることであろう。
(公財)住吉名勝保存会
車返しの櫻
昔、この付近には明治初年に廃寺となった慈恩寺という住吉神主津守家の菩提所があり、庭の老櫻は 「車返しの櫻」と呼ばれ、江戸時代の地図や名所案内記にも記される住吉の名勝であった。住吉大社は古くから皇室のご崇敬篤く、南北朝時代には、後醍醐・後村上・長慶三帝の行幸があり、特に後村上天皇はこの南にのこる 「正印殿跡」を住吉行宮(国指定史跡)と定められるなど、朝廷との関係は密接であった。
車返しの櫻の由来は、後醍醐天皇が住吉大社にお越しの折、この寺の櫻をご覧になり、通り過ぎて再びお車を返して愛でられたという美しい故事による。
かつての老櫻は失われたが、後醍醐天皇の風雅と、その櫻を守り続けた先人たちの心と遠い昔の歴史を偲び、それを未来に伝えるため、平成十一年(一九九九) 大阪市の「未来樹」として、ここに京都嵯峨野の八重紅枝垂櫻を移植したものである。
(公財) 住吉名勝保存会
杜若、詳しくはまた別の機会に譲るとして…。
卯年卯月卯日ってことから、卯の花を愛で大切にするの良いね。
卯の花も桜も、杜若も、かつての姿は失われてしまったものを、移植するなどして良くしていこうとしているのが分かる。
花も綺麗な住吉大社目指して、頑張れ💪