神功皇后:海を越える巫女王
 

第8話|二つの影

 
【あらすじ】
 
皇后となった息長帯姫は敦賀に気比宮を築き、港を整え、国の礎を固めていく。
しかし天皇が巡幸で都を離れた折、義理の息子・香坂王が露わな敵意を向け、忍熊王もまた兄の側に立つ立場を示す。
白き宮に差した二つの影は、まだ微かなまま、やがて大きな波となる兆しを孕んでいた。
 
――――――
 
【本文】
 
息長帯姫《おきながたらしひめ》は皇后となりました。
 
それにともない、敦賀(角鹿《つぬが》)の地に気比宮(笥飯宮)《けひのみや》を建て、そこを新たな居と定めました。
二月六日のことでした。
海を望む高台に築かれた宮は、白木の柱が陽光を受けて輝き、潮の香を含んだ風が絶えず吹き抜けます。
 
この造営は、帯姫の発案によるものでした。
しかし、それを形にしたのは足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》の勅でした。
 
材木は各地から運ばれ、職人が集められ、ひと月と待たずに堂々たる宮が姿を現したのです。
 
さらに、渡来人を迎えるための館も併設されました。
大陸や半島から来る者たちをもてなすための迎賓館です。
 
港には整然とした市が立ち、往来には秩序が生まれました。
敦賀は、ただの港町ではなく、国の窓口へと変わりつつありました。
 
しかし、調べを進めるうちに一つの問題が明らかになります。
 
潮の流れの関係で、半島や大陸から敦賀へ渡ってくることはできても、
こちらから直接渡るのは困難だというのです。
 
半島へ向かうには、瀬戸内海を通り、筑紫を経るのが賢明でしょう。
けれど、その航路にはまだ整備すべき課題が山積していました。
 
それらを一つずつ確かめるため、
三月十五日、足仲彦天皇は東海道へ巡幸に赴きました。
 
帯姫や宮の者たちは、気比宮に残されました。
 
 
 
天皇の不在は、宮に静けさをもたらしました。
 
春とはいえ、海風はまだ冷たく、
夕刻の部屋には淡い影が差し込んでいます。
 
帯姫は胸の奥に、わずかな空洞を感じました。
 
――そのとき
 
戸が叩かれもせず、静かに開きました。
 
現れたのは、香坂王《かごさかのみこ》でした。
天皇の前妻、大中姫の第一子です。
 
その目は、最初から冷ややかでした。
観察するように、値踏みするように、帯姫を見ます。
 
「父にほったらかされて、寂しい思いをしているのではないかと思ってな」
 
口元だけが笑っています。
 
帯姫は静かに応じました。
 
「お気遣いには及びません」
 
「二十五にもなって婚姻もせぬ女と聞けば、よほど訳ありかと思うだろう」
 
一歩、近づきます。
 
「父は何を考えているのか。……よりによって、よそ者を大后《おおきさき》に据えるとはな」
 
その言葉には、はっきりとした敵意がありました。
 
帯姫の背筋が伸びます。
 
「大王《おおきみ》のご判断です」
 
「大王、か……」
 
掴まれた腕に、力がこもります。
 
「父の目が届かぬ場所で誰が力を持つか、分かるか?」
 
――自分だ、と言外に告げていました。
 
そのとき。
 
「取り込み中、失礼」
 
戸口に、忍熊王《おしくまのみこ》が立っていました。
 
香坂王が苛立ちを隠さず振り返ります。
 
「何の用だ」
 
「引き継ぎだよ。角鹿の政務を、俺が預かることになる」
 
帯姫は眉を寄せました。
 
「それは……」
 
忍熊王は、兄と皇后の間を一瞥します。
状況は理解しているはずなのに、表情は変えません。
 
「父の使いがまもなく迎えに来る。角鹿は俺に任せるそうだ。次は穴門《あなと》だと」
 
淡々とした報告。
 
香坂王の手が離れます。
 
忍熊王は帯姫をまっすぐ見ました。
 
その視線は、兄とは違い、侮りも敵意もありません。
しかし彼は、兄の隣に立つ者です。
 
「ご安心を。宮は滞りなく運びます」
 
その声は穏やかでした。
 
けれどそれは、帯姫の味方になるという意味ではありません。
 
香坂王は鼻で笑います。
 
「聞いたな。角鹿は我らが預かる」
 
皇后は二人を見つめました。
 
未来が、静かに軋む音がします。
 
この宮で芽吹いたものは、
やがて大きな争いへと育つかもしれない。
 
けれど帯姫は、視線を逸らしませんでした。
 
嵐の芽は、もう目の前にあるのです。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第7話「新しき船出」。
 
天皇と再会した帯姫は、国の未来を乗せた大船とともに、新たな航路へ踏み出そうとします。
 
 
3月31日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。
神功皇后:海を越える巫女王
 

第7話|夜に残る熱

 
【あらすじ】
 
約束の夜、帯姫のもとを訪れた足仲彦天皇。
甘い香りと近づく熱に心を揺らす帯姫。
身をゆだねようとしたその時、戦場で矢に倒れる天皇の未来を幻視する。
 
――――――
 
【本文】
 
 
敦賀では、足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》と息長帯姫《おきながたらしひめ》は正式に対面することなく別れました。
後日、天皇が帯姫の部屋を訪れるという約束だけを交わし、その日は解散となったのです。
 
それから数日後――
約束の夜がやってきました。
 
一月十一日の夜。
空は低く、雪がしんしんと降り続いていました。
屋敷の軒先にも白が積もっています。
 
帯姫は、炉に炭をくべ、灯りを落とした部屋で、ひとり静かに座していました。
冷えた空気が頬に触れ、指先はわずかにかじかんでいます。
それでも胸の鼓動だけが、いつもよりわずかに早く感じられました。
 
戸が静かに開きます。
 
外の冷気とともに、雪の匂いが入り込みました。
そこに立っていたのは、厚手の上着をまとった天皇でした。
肩には細かな雪がまだ残っています。
 
戸が閉じられると、室内は再び静まりました。
 
天皇は一度、静かに息を吐き、
肩に掛けていた上着をゆるやかに外します。
雪の冷気をまとっていた布が床に置かれました。
 
ふわりと、甘く、わずかに渋みを含んだ香りが流れ込みました。
外の凍てつく空気とは異なる、体温を帯びた香りです。
 
雪の夜であることを忘れさせるような温もりでした。
 
帯姫の胸の奥が、静かに波立ちます。
 
「――大王、お待ちしておりました」
 
深く、深く、頭を下げました。
 
天皇は静かに歩み寄ります。
足音は控えめで、それでも確かな存在感を伴っていました。
 
そして帯姫の左隣に、腰を下ろします。
 
外では雪が降り続き、
時折、屋根からさらりと落ちる音が聞こえました。
 
「面を上げよ」
 
その声は低く、夜に溶けるようでした。
 
帯姫が顔を上げると、天皇の瞳がすぐ近くにあります。
昼間に見たときよりも、ずっと深く、熱を宿しているように感じられました。
 
襟元からのぞく胸元に、灯りが柔らかく落ちています。
 
雪の夜の冷え込みの中、その肌だけが温かく見えました。
 
帯姫は思わず目を伏せます。
 
「お強くあられますのですね」
 
そっと触れた腕はたくましく、外気とは対照的に、確かな熱を持っていました。
冷えていた指先に、その温もりがじわりと伝わります。
鼓動が、かすかに響きました。
 
「守るべきものがあるゆえな」
 
その言葉とともに、天皇は帯姫の手を取り、
静かに胸元へと導きました。
 
伝わる熱。
鼓動。
近づく息遣い。
 
外は雪。
室内には炎。
炉の火が、ぱちりと小さく音を立てました。
 
甘い香りが、さらに濃くなります。
 
帯姫は目を閉じました。
身を委ねれば、この温もりに溶けてしまいそうでした。
 
――そのとき。
 
瞼の裏に、別の光景が走ります。
 
風を切る矢。
血の色。
戦場に立つ、勇ましくも孤独な天皇の姿。
 
その胸に、一本の矢が突き立つ。
 
「嫌……っ」
 
帯姫は思わず息を呑み、身を離しました。
 
冷えた空気が、二人の間に戻ります。
 
現実と幻が交錯し、胸が締めつけられました。
 
目の前の天皇は、驚き、少し傷付いた表情をしています。
 
「あ、いえ……違うのです」
 
言葉を探しますが、不吉な未来をそのまま口にすることはできません。
かえって天皇の心を曇らせるだけだと思い、言葉が詰まりました。
 
仕切り直そうと歩み寄ろうとしますが、震えが止まりません。
 
「……申し訳ありません」
 
唇がかすかに震えます。
 
「大王……お慕いしております」
 
震える声で、それだけを伝えます。
 
情を拒んだのではない。
むしろ、その逆でした。
 
この方を、守りたい。
この熱も、この命も。
 
(どうか……わたしに、祓わせてください)
 
天皇は、わずかに眉を寄せます。
しばらく沈黙が落ちたのち、天皇は静かに息をつきました。
 
「……そうか」
 
わずかに自嘲の色をにじませ、衣を整えます。
 
「すまなかった。無理強いはせぬ。これからのことは、また明日以降、ゆっくり話そう」
 
そう言って、帯姫から少し離れた場所に横になりました。
 
雪に包まれた夜。
二人の間には、触れ合わなかった熱だけが、淡く、確かに残っていました。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第8話「二つの影」では――
 
皇后として敦賀に宮を築いた帯姫の前に、やがて対立へと育つ二人の王子の影が静かに現れる。
 
 
3月24日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。



なぜ敦賀は、古代から日本海側の要衝とされてきたのでしょうか。

 

福井県南西部に位置する敦賀は、日本海に面した港町です。古くから北陸と畿内を結ぶ交通の結節点であり、街道と港が交わる場所でもありました。

こうした地理条件のため、敦賀には古代から多くの人々が海を越えてやって来ました。

 

古墳時代には異国の王子が上陸し、奈良・平安時代には国家が迎える使節が訪れ、やがて海外商人もこの地に現れます。

 

敦賀は、時代を超えて人と文化が交わる「海の交差点」でした。

 

 

【第一章】古墳時代| 海を越えて来た王子 ― 都怒我阿羅斯等者

 

敦賀駅の駅前に立つと、ひときわ目を引く像があります。

 

都怒我阿羅斯等像

 

都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)。

 

敦賀という地名の由来になったと伝えられる人物です。

 

像の由来説明には、こうあります。

『日本書紀』巻第六――第10代崇神天皇の世、額に角のある人が船に乗って越国の笱飯浦(けひのうら)に泊まった。ゆえにそこを「角鹿(つぬが)」と呼んだ、と。

 

大加羅国の王子であったと記される都怒我阿羅斯等。

額の「角」は、本当に身体にあったのか。あるいは異国の兜か、冠か。

古代人の畏れや驚きが、その姿を誇張して伝えたのかもしれません。

 

「角額(つのぬか)」が縮まり「角鹿(つぬが)」となり、やがて和銅六年、第43代元明天皇の時代に「敦賀」の字があてられました。

 

駅前に立つその像は、敦賀という町のはじまりを、古い時代へと遡らせます。

 

 

 

『日本書紀』第11代垂仁天皇紀には、詳しい物語が残されています。

 

都怒我阿羅斯等は、大加羅国の王子として来日したと語ります。

「日本に聖王がいると聞いてやってきた」と。

 

しかし道に迷い、穴門(長門)から北へ回り、出雲を経て、ようやく越の国へ辿り着いたという。

 

日本海を伝い、島をめぐり、北から回る航路。

 

そこに、古代人が思い描いた日本海ルートが浮かび上がります。

 

やがて彼は垂仁天皇に仕え、三年を過ごし、帰国を許されます。

赤織の絹を賜り、それを持ち帰ったことが、任那(≒加羅)と新羅の争いの発端になったとも記されます。

 

物語は、外交と衝突の気配を帯びています。

 

これら全てが歴史的事実かは疑う余地があります。

しかし、敦賀が「海を越えて来た者の着く場所」として記されたことは事実です。

 

異国の王子が腰を下ろした港として、

この地名が語り継がれました。

 

駅前の像や、氣比神宮内にある角鹿神社は、静かにそれを伝えています。

 

角鹿神社

 

【第二章】奈良・平安時代| 渤海使と松原客館 ― 国家が動いた港

 

都怒我阿羅斯等の物語は、『日本書紀』に伝えられる出来事です。

そこには海を越えてやって来た王子の姿が語られていますが、当時の記録がそのまま残っているわけではありません。

 

しかし、時代が下ると事情は変わります。

奈良時代から平安時代にかけて、海を渡ってこの地にやって来た人々の記録が、歴史書の中にはっきりと現れるようになります。

 

その代表的な存在が、渤海使です。

新羅や唐からの使節もありましたが、その数は多くありません。

それに対し、奈良時代から平安時代にかけて、日本にはおよそ34回にわたって渤海使が来航しました。

 

中国東北部から朝鮮半島北部にかけて栄えた渤海は、日本との関係を求め、たびたび使節を送りました。

彼らは日本海を渡り、山陰から北陸にかけての港に上陸し、そこから都を目指して北陸道を進んでいきました。

 

その上陸地の一つが、敦賀でした。

 

渤海側の意図は、唐や新羅をにらんだ軍事同盟の模索であったと考えられています。

 

しかし、日本側の受け取り方は少し異なっていました。

 

使節が貢物を携えて来朝したことから、日本はこれを

「国威を慕って従属を願い出た朝貢」と解釈します。

 

そのため渤海使は、非常に厚遇されました。

 

ここに、外交の微妙な温度差が見えます。

同盟を求める国と、朝貢と受け取る国。

 

両国の思惑はさておき、事実として、両国の間で公的な往来が繰り返されました。

 

 

日本への航路

 

渤海使は、北西の季節風とリマン海流を利用して朝鮮半島沿いを南下し、

その後、対馬暖流に乗って日本海を横断しました。

 

来航は晩秋から冬にかけてが多かったといいます。

 

荒れやすい日本海を、風と海流を読みながら渡る。

 

その船が目指した上陸地の一つが、敦賀周辺でした。

 

 

上陸地としての敦賀

 

渤海使は、山陰から北陸、東北にかけての津に上陸しました。

敦賀は、日本海側で都に比較的近い位置にあり、北陸道が整備されていたため、有力な受け入れ地のひとつとなります。

 

上陸後、使節はすぐに都へ向かったわけではありません。

 

まずは「安置」。

つまり一時的に滞在させられ、食料や衣料などの生活物資が供給されました。

 

史料には「便処」に「安置」とあり、郡家や国府、駅館などが利用されたと考えられています。

敦賀の場合、その受け入れ施設とみられているかのが「松原客館」です。

 

 

気比神宮と松原客館

 

松原客館は、敦賀の松原に置かれていた外国使節のための施設です。

ここは単なる宿泊所ではありませんでした。

 

海を越えてやって来た使節を迎え入れ、都へ向かうまでのあいだ滞在させる。

いわば、日本海側の外交拠点ともいえる場所だったのです。

 

敦賀は、日本海の港であると同時に、北陸道を通じて奈良や平安京へとつながる交通の要衝でもありました。

松原客館は、その結節点として機能していたと考えられています。

 

平安時代中期に編纂された『延喜式 』には、

「凡そ越前国松原客館は気比神宮司をして検校せしむ」

と記載されています。

 

つまり、この客館の管理は気比神宮の神官に任されていたのです。

 

敦賀では、港と神社が一体となって外国使節を迎えていました。

国家の外交は、こうした地方の拠点によって支えられていたのです。



【第三章】平安時代| 宋商人と藤原為時 ― 港が動かした人事

 

奈良・平安期、敦賀は国家使節を迎える港でした。

そして平安中期。港に現れるのは、国家ではなく商人たちです。

 

海を越えてやって来たのは、宋の商人たちでした。

 


 

突然の人事

 

長徳2年(996年)正月25日、

紫式部の父、藤原為時は淡路守に任じられます。

 

ところが、わずか三日後の28日。

右大臣・藤原道長 が参内し、すでに越前守に決まっていた源国盛を退け、為時を越前守へと変更させます。

 

淡路は「下国」、越前は「大国」。

国司の収入はまさに雲泥の差でした。

 

この異例の除目変更は、当時の人々の大きな話題となります。

説話集『古事談』『今昔物語集』『十訓抄』などに逸話が残りました。

 

為時は、

 

苦学寒夜、紅涙霑襟、

除目後朝、蒼天在眼

 

という詩句を女房を通して奏上したといいます。

これを見た一条天皇 は食も喉を通らず、涙したとされます。

 

その結果の栄転。

 

けれど、この美談の裏には、より現実的な事情があったと考えられています。

 

 

若狭に現れた宋商人

 


当時の中国大陸では、7世紀から約三百年にわたって栄えた大国・

唐が滅び、代わって

宋王朝が興っていました。


それまで日本の朝廷は、隋に遣隋使を、唐には遣唐使を送り、政治制度や文化を積極的に取り入れてきました。

しかし894年、遣唐使の派遣は停止され、日本は中国王朝と公的な外交関係を持たない状態になっていました。


とはいえ交流が完全に途絶えたわけではありません。

朝廷は、

大宰府を窓口とする民間貿易を認め、宋との交易は細々と続いていました。


そんな中で起きた出来事が、為時の運命を動かします。


長徳元年(995年)9月、

若狭国に宋の商人、朱仁聡・林庭幹ら七十余名が来着しました。


彼らはその後、若狭や越前に滞在します。


宋は当時、東アジア屈指の経済大国でした。

その商人団との交渉は、地方官にとっても朝廷にとっても、きわめて重要な問題になります。


しかし、日本は宋と正式な国交を結んでいません。

この問題は、うかつに扱えば外交問題になりかねない、きわめてデリケートな案件でした。


ここで求められたのは、武力でも血統でもありません。

必要とされたのは、言葉の力でした。


宋人と交渉するには、漢文を自在に扱える人物が必要です。


そこで白羽の矢が立ったのが、漢学者でもあった

藤原為時だったのです。


為時は典型的な学者官僚でした。

実際、彼が宋人の周世昌に贈った詩は、漢詩集『本朝麗藻』にも収録されています。


外交文書。

交渉。

そして詩の応酬。


港町で交わされたのは、剣ではなく言葉でした。


だからこそ、越前守という役職には、為時が最もふさわしい人物だったのです。

 

 

この逸話は、2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ 』でも描かれました。

 

光る君へ、大河ドラマ館の衣装展示

 

 

【第四章】海の交差点


そして現在。


敦賀の町を歩いていると、思いがけない光景に出会います。


駅前から氣比神宮へと続く道に、

宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999のモニュメントが並んでいるのです。


これは1999年、敦賀港開港100周年を記念して整備されたものです。

日本でも有数の「港と鉄道の町」である敦賀を象徴する存在として、宇宙をゆく船と鉄道の物語が選ばれました。


海へ向かう船。

遠くへ続く鉄道。


敦賀の町は、昔から「どこか遠くへ続く道」を感じさせる場所だったのかもしれません。


古墳時代には、海を越えて王子がやって来たという伝説が残り、

奈良・平安の時代には、渤海の使節が日本海を渡って訪れ、

平安中期には、宋の商人がこの海を航海してきました。


そして今、港と鉄道の町には、宇宙へ旅立つ船と列車が立っています。


時代は変わっても、

ここはいつも「遠い世界へつながる場所」でした。


敦賀とは、そんな町なのです。 




【第五章】なぜ敦賀に行宮が置かれたのか― 仲哀天皇と笥飯宮

 

敦賀には、もう一つ気になる記述があります。

それは、『日本書紀』に記された
仲哀天皇の笥飯宮(けひのみや)です。

『日本書紀』によれば、仲哀天皇は敦賀に行宮を置き、しばらくこの地に滞在したとされています。
しかし、その目的についてはほとんど語られていません。

なぜ、都から遠く離れた日本海側の港に、天皇の行宮が置かれたのでしょうか。

この記事で見てきたように、敦賀は古くから海の向こうとつながる場所でした。
古墳時代の伝承には、大加羅から来た王子・都怒我阿羅斯等の物語があり、奈良・平安時代には渤海使が日本海を渡ってやって来ます。
さらに平安時代には、宋の商人がこの地域に姿を現しました。

時代は違っても、敦賀には「海を越えて来る人々」が存在していたのです。

そう考えると、仲哀天皇が敦賀に行宮を置いたことも、単なる偶然とは思えません。


私には、仲哀天皇と
神功皇后が、この敦賀という港から、海の向こうの世界を見ていたのではないかと思えるのです。



一般には、仲哀天皇は新羅遠征に消極的であったとも語られます。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。

敦賀という港に行宮を置いたこと、そして海外とのつながりを持つ神功皇后と結婚したことを考えると、むしろその視線は、早くから海の向こうへ向いていたのではないか。

私はそんな想像をしています。

もちろん、これは史料から直接読み取れる事実ではありません。
けれど、敦賀という土地の歴史をたどっていくと、そんな物語が浮かび上がってくるようにも感じられるのです。

そして私は、この想像をもとに、仲哀天皇と神功皇后の物語を書いてみたいと思いました。

その物語を、小説
「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」
の中で描いています。

 

 

 

▶ 神功皇后と仲哀天皇の物語
小説「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」は こちら
小説も是非よろしくお願いします。




神功皇后:海を越える巫女王
 

第6話|波間に交わる視線

 
【あらすじ】
 
 
「聡き姫」の噂を聞いた足仲彦天皇は、武内宿禰とともに敦賀を訪れた。
視察の名目で帯姫を遠目に見守るはずが、二人は人波の中で視線を交わし、互いに特別な存在であることを感じ取る。
やがて武内宿禰が帯姫に大王の意向を伝え、運命は大きく動き始める。
 
――――――
 
【本文】
 
 
噂を聞いた足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》と、大臣、武内宿禰《たけうちのすくね》は、帯姫《たらしひめ》らが敦賀に滞在している折を見計らい、敦賀を訪れました。
 
もっとも天皇は、あくまで“視察”の名目です。
姫に会うことを、公に望んだわけではありませんでした。
 
「まずは、様子を見よう」
 
そう言って、少し離れた場所から、帯姫と宿禰王の様子を静かに見守ることにしました。
 
その日、帯姫は朝から胸騒ぎを覚えていました。
夢で幾度も見た男に、今日こそ会える――
そんな予感がしていたのです。
 
港は人波であふれていました。
行き交う声、揺れる帆、潮の匂い。
 
ふと、帯姫が顔を上げた、その瞬間――
 
視線が、合いました。
 
――あの人だ。
 
初めて実際に目にするその男は、背が高く、端正な顔立ちをしていました。
護衛の男たちに囲まれてはいましたが、決して弱々しくはありません。
夢の中で、水越しに見ていた姿よりも、いっそう精悍に見えました。
 
一方の天皇は、思わず視線を逸らします。
 
「……気づかれたようだ」
 
密かに観察するつもりであったため、わずかな気まずさが胸をよぎりました。
 
しかし、ほんの一瞬交わった帯姫の瞳は、不思議と不快ではありませんでした。
澄みきったまなざしが、静かに、まっすぐに、天皇の心へ届きます。
 
――この姫は、ただ者ではない。
 
確かに、大いなる力を宿している。
 
天皇はそう感じていました。
 
武内宿禰が、低く言います。
 
「評判以上に、良い姫ですな。賢く、美しい」
 
「ああ……」
 
その短い返答の中には、すでに決意がにじんでいました。
 
しばらくののち、武内宿禰は帯姫のもとへ歩み寄ります。
 
「大王が、姫をお求めでいらっしゃいます。いかがなさいますか」
 
帯姫は、静かにその言葉を受け止めました。
 
胸の奥で、長く続いていた予感が、確かな形を帯びます。
 
――この方と、共に歩むのだ。
 
その答えは、すでに決まっていました。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第7話「夜に残る熱」では――
 
約束の夜、帯姫は天皇の甘い香りと近づく熱に心を揺らしながらも、未来に迫る死の影を見る。
 
 
3月17日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。
神功皇后:海を越える巫女王
 

第5話|名は波に乗りて

 
【あらすじ】
 
息長氏は湖の交易から海へ進出し、北陸の要衝 敦賀を拠点にしよう考えていた。
そんな折、帯姫は満月の夜に鯨が漂着すると予言し、それが現実となったことで「聡き姫」と噂されるようになる。
その名が港から広く伝わり、ついには都で天皇の耳にまで届いたのだった。
 
――――――
 
【本文】
 
息長《おきなが》氏は、近江国北部を地盤とする豪族です。
帯姫《たらしひめ》ら一族は、吾名邑《あなむら》と呼ばれる琵琶湖北東の地に住んでいました。
 
吾名邑は、かつて新羅の王子、天日槍《あめのひぼこ》が訪れたと伝えられる土地でもあります。
帯姫の母、葛城高顙媛もまた、天日槍の血を引く一族の娘でした。
 
息長氏は、琵琶湖の水運を軸に交易を営んできました。
湖を通じて各地と結ばれ、物だけでなく、噂や知恵までも運んできたのです。
 
やがて、帯姫の父、宿禰王の胸にさらなる野望が芽生えました。
 
――湖だけでは足りない。
――渡来人との縁があるなら、海へ出ねばならない。
 
そう考えた宿禰王は、帯姫を伴い、北陸の要衝敦賀へと向かいました。
 
姫を連れていくのには、理由がありました。
帯姫のほうが渡来人の言葉に通じていたこと。
そして敦賀は、有力者や商人、役人が集まる地であり、
姫の名を世に知らしめるには、これ以上ない舞台だったことからです。
 
敦賀は、人と物と噂が渦巻く港町でした。
かつて都怒我阿羅斯等《つぬがあらしと》という渡来人が治めていましたが、彼の帰国後は統率を欠き、諸勢力が入り乱れていました。
 
 
 
ある日、帯姫は父に言いました。
 
「次の満月の夜、海から大きな命が流れ着きます」
 
宿禰王は驚きながらも、娘の言葉を疑いませんでした。
これまで何度も、帯姫の予見は現実となってきたからです。
 
数日後――
満月の夜明け、敦賀の浜に、巨大な鯨が漂着しました。
 
人々はどよめき、駆け寄りました。
肉も、油も、骨も、すべてが財となる海の贈り物です。
宿禰王はこれを商いに用い、大きな利を得ました。
 
「やはり、姫の申した通りだ」
 
そのひと言が、港にさざ波のように広がります。
 
「敦賀に、聡き姫あり」
 
驚きとともに語られたその評判は、
船乗りや商人たちの口にのぼり、
やがて海路を伝って各地へと広がっていきました。
 
息長の名とともに。
いいえ、それ以上に、人々が口にしたのは姫の名でした。
 
――息長帯姫。
 
その名は北陸の海を越え、山を越え、
ついには都へと届きます。
 
「敦賀に、神意を受ける聡き姫がおります」と。
 
そのひと言が、
静かに、しかし確かに、
天皇の耳へと届くことになったのでした。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第6話「波間に交わる視線」では――
 
敦賀で帯姫と足仲彦天皇は運命的に視線を交わし、やがて天皇からの求婚が告げられる。
 
 
3月10日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。