ただいま西洋占星術勉強中の私

実は、やましたひでこさんの断捨離塾

新米塾生でもあります口笛

 

なかなか動画を見るのも追いつかず

さくさく断捨離できてもいないのですがタラー

 

今月の断捨離塾のテーマが

「リサイクルの罠」

 

先ほど動画を見終わって

「もったいない」は正義なのか?

ということについて考えていました。

(動画の中でそういうことを話されていたのではありません)

 

子どもの頃から何かにつけて

「もったいない」

と言われて育った方も

多いのではと思うのですが

 

私も例にもれず

「もったいない」

という呪文で育ち

 

もったいないからご飯は残せない

もったいないから壊れるまで捨てられない

もったいないから使えそうなものはとっておく

 

というスタンスで生きてきました(笑)

 

結果、

食べたくないのに無理して食べて胃がもたれる太る

気に入ってる訳でもないのにあるから使ってる捨てられない

使わない包装紙や紙袋、ショップバッグの山…

 

いろんなものやことが

どんどん進出拡張拡大していき

我が家は見事な腐海の底へと

沈んでおる訳でございますえーん

 

「もったいない」は美徳だと思います。

物のない時代には金言でした。

 

苦労して手に入れたものを

壊れる破れるまで使い

壊れ破れてもなお、

それを作り直して再生させて使う

 

とても美しいことです。

 

でも、時代が変わってきたのではないかとも思うのです。

 

「もったいない」と手間ひまかけて

愛おしんで使ってきた「もの」

 

それはきっと、その「もの」も

嬉しかったと思うのです。

 

でもいま「もったいない」と

使っているもの

とってあるものに

「愛おしさ」はあるでしょうか?

 

「もったいない」を外してみたら

その「もの」には

どんな思いがあるでしょうか?

 

なんの思いもないとしたら

それより「邪魔」という思いしかないとしたら

 

その「もの」にとって

そこに存在することは

悲しみでしかないんじゃないだろうか…

 

そんなことを、ふと思いました。

 

 

今日も夕焼けが綺麗でしたね照れ