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第三章 「大石寺は謗法の地」との妄言を破す

 
第一節 総本山大石寺は最勝の地

原田会長は、創価学会が大御本尊を放棄する口実(こうじつ)として、

「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います」(本書139頁参照)

と言い、あろうことか、総本山大石寺を「大謗法の地」と誹謗(ひぼう)しています。

総本山大石寺は、本門戒壇の大御本尊と大聖人以来の血脈付法の御法主上人まします寺院であり、そこには大謗法など、あろうはずがありません。

本門戒壇の大御本尊の住処は、必ず「最勝の地」なのです。

日蓮大聖人は『南条殿御返事』(なんじょうどのごへんじ)に、

「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山(りょうじゅせん)にして相伝し、日蓮が肉団(にくだん)の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定(にゅうじょう)の処なり、舌の上は転法輪(てんぽうりん)の所、喉は誕生の処、口中は正覚(しょうがく)の砌(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者(ぎょうじゃ)の住処なれば、いかでか霊山(りょうぜん)浄土に劣るべき」(御書一五六九頁)

と教示されています。

この御文について、日寛上人は『文底秘沈抄』(もんていひちんしょう)に、

「教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱(けっちょうふぞく)の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事(おんこと)なり。是れ則ち釈尊塵点劫(じんてんごう)より来(このかた)心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下(さんげ)に在り、故に富士山は即ち法身(ほっしん)の四処(ししょ)なり」 (六巻抄六四頁)

と指南されています。

「法身の四処」とは、法華経の存在する所であり、末法においては、御本仏大聖人の御魂魄である本門戒壇の大御本尊まします富士大石寺を指しています。


さらに、日寛上人は、

「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄(しょうじょう)の法水断絶(ほっすいだんぜつ)せしむる事無し、蓮師(れんし)の心月豈(あに)此に移らざらんや、是の故に御心今は富山(ふざん)に住したもうなり」(同六六頁)

と仰せられ、宗祖大聖人以来の血脈法水が脈々(みやくみゃく)と伝えられる富士大石寺は常に清浄であり、御本仏大聖人の心月に照らされた聖地であることを明かされています。

したがって創価学会が、
「大石寺はすでに大謗法の地」(本書139頁参照)
などと誹謗することは、御本仏日蓮大聖人の御聖意(ごしょうい)を蔑(ないがし)ろにすることになるのです。


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第四節 創価学会の信仰の誤り

原田会長は、「受持即観心」について説明するなかで、次のように述べています。

「御本尊の力用(りきゆう)は、自行化他の実践があるところに発揮されるのであります。大聖人の御本尊は、『法華弘通のはたじるし』すなわち民衆救済のための御本尊であり、広宣流布のための御本尊であります。御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」

この説明から、創価学会が、大御本尊を放棄したことによって、御本尊よりも衆生の信行を主体とするという、本末転倒の信仰論を主張し始めたことがわかります。

①正境なくして利益なし
まず、原田会長は「御本尊の力用は、自行化他の実践があるところに発揮される」とか「御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」と言い、信仰の功徳(御本尊の力用)には、仏力・法力よりも、衆生の信力’行力が優先するかのような主張をしています。

しかし、日寛上人は『法華取要抄文段』に、

「凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則んば智行も随って邪なり。境若し正なる則んば智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし」(文段五四〇頁)

と、信心修行においては、本尊の正邪の峻別が最優先し、その上で正境(しょうきょう)である本尊に対して信仰に励んでこそ、本尊の力用が発揮されることを指南されています。

したがって、本門戒壇の大御本尊(正境)を放棄し、我見に任せて認定した本尊に向かって、会員がいかに唱題しようとも、功徳どころか、邪智(じゃち)・邪行(じゃぎょう)の罪によって悪道におちることは必定(ひつじょう)です。

②言葉のみの広宣流布をかかげる創価学会

創価学会は、ことあるごとに「創価学会こそ広宣流布を推進する教団」と主張しますが、日寛上人は広宣流布について、

「文底深秘(もんていじんぴ)の大法、其の体如何(いかん)。答う、即ち是れ天台未弘(みぐ)の大法こ二大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄愚記・文段二九〇頁)

と仰せられています。

つまり、広宣流布とは本門戒壇の大御本尊を流布することであり、本門戒壇の大御本尊こそ、広宣流布の根源なのです。

かつて、不相伝家(ふそうでんけ)の他門のなかにも、言葉のみの広宣流布を盛んに主張した例が、いくつかあります。

日蓮宗(身延派)の宗制には、

「本宗の布教は、広宣流布の祖願達成を主眼とする」(日蓮宗宗憲第七条)
とあり、日蓮宗の一如日重(いちにょにちじゅう)(身延二十世)は『見聞愚案記』(けんもんぐあんき)に、

「誓願の事、広宣流布の願望肝心なり(該書二〇―一五頁)
と言い、

本門仏立宗の長松清風(ながまつせいふう)(旦扇(にっせん))は、

「今生人界(こんじょうにんがい)の思ひ出をはたさんと、弘通広宣の道に励み給ふべき事専要(せんよう)に侯」
(仏立宗義書四―二八四頁)

と言っています。

また、国柱会(こくちゅうかい)の田中智学(ちがく)も、

「妙信妙行を具足したる一大主義は(中略)終に宇内万邦(うだいばんぽう)に広宣流布すべき、末法応時の憲教(けんきょう)たる本化妙宗(ほんげみょうしゅう)これ也」
(日蓮主義教学大観一―四二三頁)

と言っています。

これらの宗派は、本門戒壇の大御本尊を知らず、御本仏大聖人の御聖意(ごしょうい)に背いているのですから、広宣流布という言葉はあっても、その実はないのです。

創価学会も同様に、いかに「広宣流布」を口にしようとも、それは所詮(しょせん)、空虚(くうきょ)な妄想でしかありません。

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第三節 「これまでの本尊観は世界広布を阻害する」との邪説

 
原田会長は、
「ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも。”電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねない」(本書138頁参照)

と、これまでの本尊観は世界広布を阻害するという邪説を述べています。

これについて、二つの点から破折を加えます。

①御遺命の戒壇を否定する大罪

まず初めに破折すべきは、御遺命の戒壇を否定していることです。

大聖人は『三大秘法禀承事』(さんだいひほうぼんじょうのこと)に、

「戒壇とは、王法仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に合(がっ)して、王臣一同に本門の三秘密の法を持(たも)ちて、有徳王・覚徳比丘(うとくおう・かくとくびく)の其の乃往を末法濁悪(まっぽうじょくあく)の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下(くだ)して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ」 (御書一五九五頁)

と、「霊山浄土に似たらん最勝の地」に戒壇を建立すべきことを仰せられています。

また『日蓮一期弘法付嘱書』(いちごぐほうふぞく)には、

「日蓮一期の弘法、白蓮阿開梨(びゃくれんあじゃり)日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同一六七五頁)

と、「本門寺の戒壇」を建立すべき最勝の地は富士山であると教示されています。

にもかかわらず創価学会は、「ある場所に特定の戒壇があり云々」と述べて、大聖人が遺命された戒壇を暗に否定しているのです。

日寛上人は、富士大石寺が「戒壇」の地であることについて、

「一器の水を一器に瀉(うつ)すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり、未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖(いえど)も既に本門の戒壇の御本尊在す上は其の住処は即戒壇なり」(寿量演説抄・歴全四―一四五頁)

と記(しる)されています。

すなわち、本門戒壇の大御本尊まします大石寺が「戒壇」であり、創価学会がいう「特定の戒壇」に当たることは明白です。

これらのことから、創価学会が「特定の戒壇」を否定することは、大聖人の御遺命に違背し、日寛上人の御指南に反する大謗法なのです。

②「根本の御本尊」と「御書写の御本尊」との立て分けを否定する大罪

次に、原田会長は、
「特定の戒壇に安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという本尊観は世界広布を阻害する」(取音・本書138頁参照)
と言っています。

ここで創価学会は、本宗本来の教義である、宗祖直筆の漫荼羅御本尊や御歴代上人の御書写による御本尊は、すべて本門戒壇の大御本尊を根本としなければならないという鉄則を、真っ向から否定したのです。

創価学会は、平成三(一九九一)年に宗門から破門されて以来、さまざまな異説・邪説を唱えてきましたが、本尊義に関しては従来どおり、本門戒壇の大御本尊を根本の御本尊としてきました。

しかるに今回、初めて根本の御本尊と御書写の御本尊との立て分けを否定し、暗に本門戒壇の大御本尊が根本の御本尊ではないと表明したのです。

日寛上人は、本門戒壇の大御本尊と御歴代上人御書写の御本尊との関係について、次のように指南されています。

「広宣流布の時至れば一閻浮提(いちえんぶだい)の山寺(やまでら)等、皆嫡々(ちゃくちゃく)書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然(しか)りと雖(いえど)も仍(なお)是れ枝流(しりゅう)にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(法華取要抄文段・文段五四三頁)

すなわち、広宣流布の暁には一閻浮提の寺々に御歴代上人御書写の御本尊が安置されるが、これらの御本尊は根源の御本尊に対する枝流の御本尊であり、その場所は義理の戒壇に当たる。

これに対し、根源の御本尊は本門戒壇の大御本尊であり、その所住の処が事の戒壇に当たる、との文意です。

この御指南からも、根本の御本尊と御書写の御本尊の立て分けを否定する創価学会の言い分か大謗法であることは明らかです。

さらに、原田会長は、
「あたかも”電源と端子”の関係であるかのような本尊観は(中略)かえって世界広布を阻害するものとなりかねない」 (本書138頁参照)

とも言っています。

しかし、創価学会発行の『折伏教典』には、似たような譬えを用いて、次のように説明しています。

「電灯にたとえて考えてみると(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」 (該書改訂二三版三一三頁)


また、第六十六世日達上人は、
「戒壇の御本尊の、又、写しが、各末寺の御本尊であり(中略)また各家の御本尊である。だからそこに戒壇の御本尊の、大聖人様の血脈が、正宗を信心する皆様の中に皆伝わっておるのでございます。その根本たる戒壇の御本尊を忘れてしまったならば、いかに信心しても、大聖人様の血脈は通じてこない」
(達全一―ニ―二五六頁)
と指南されています。

さらに、第二代戸田会長も、

「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。
弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈(ほうみゃく)が切れてますから、絶対だめなのです」(戸田城聖全集四―三五〇頁)
と指導しています。

創価学会は、自らが長きにわたって信条としてきた、根源の御本尊と枝流の御本尊とに立て分けがあることを指して、「世界広布を阻害する」と否定しました。

自分達の都合によって信条をいとも簡単に覆す宗教団体が、世界の誰から信用されるというのでしょうか。

むしろ、このような創価学会の体質こそ、「世界広布を阻害するもの」と断定します。

③「慈折広布の御本尊」 (創価学会常住御本尊)について
聖教新聞には、平成二十五年十一月五日、創価学会は東京信濃町の総本部に「広宣流布大誓堂」を建て、そこに通称「慈折広布の御本尊」を安置したと報道されています。

そもそも「慈折広布の御本尊」とは、昭和二十六(一九五一)年五月十九日に総本山第六十四世日昇上人によって書写されたものであり、脇書きには「大法弘通 慈折広宣流布大願成就」と認められています。

この御本尊を書写された日昇上人は、昭和三十(一九五五)年十二月十三日、創価学会関西本部の入仏式に際し、

「戒壇の大御本尊の御内証(ごないしょう)を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする」(聖教新聞・昭和三〇年二一月一八日付)
と仰せられています。

このように、日蓮正宗の御歴代上人が認められた御本尊は、すべて本門戒壇の大御本尊の御内証を書写されたものです。

したがって、根本の大御本尊を放棄して「慈折広布の御本尊」のみを用いようとする創価学会は、日昇上人の御慈悲を踏みにじる、不知恩きわまりない集団と言うべきです。

創価学会員の皆様

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