介護認定 | 札幌 ファミケア プリズム翠 (障がい支援、介護、子育て支援・起業支援)

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札幌在住。32年にわたり、難病の母親の介護をしてきたいわゆるヤングケアラー経験者です。また、保育士や介護福祉士の業務経験から、介護、障がい、子育てに関わるご相談お受けしています。本業は障がい福祉サービス事業所で相談支援専門員として福祉支援の仕事をしています。

介護認定も嫌がった母

 

母は早い段階で要介護5になりました。

介護認定を受けたのはパーキンソン病と

診断され手から10年後くらい・・・

躓きやすきなり、家事もままならなくなり

日々の生活にも支障をきたしても、なお、

介護認定を拒否し続けました。

父もそれには賛成で

 

お母さんは、介護してもらうような状態じゃない!

俺とおまえが頑張って手伝ってあげたらまだまだ大丈夫。

 

と一括されてしまいます。

両親の中で

介護=重度、認定受けたら寝たきりになる

という極端なイメージしかなかったのです。

介護の仕事をしていた私がいくら説得しても

 

お前の言うことは信用できない

 

と全く取り合ってくれませんでした。

 

 

ようやく認定を受けようと思ったきっかけは

 

母が、ようやく介護認定を受けようと

決心したきっかけは、父の入院でした。

癌でした。

入院する父、1人家に残る母・・・

 

私一人で大丈夫

 

と言いますが、

もうその頃は転倒の恐れもあったり、

夜中の振戦がひどくてベッドから落ちてしまったりと

父の介助なしでは

生活できない状態になっていたのです。

私は毎日幼い子供たちを育てながら、

シングルマザーとして仕事をしなくてはいけなくて、

何度も何度も母を

ショートステイに入れるよう説得しました。

父も私の状況を理解していたので

母を1人で家に置くわけにもいかず

ショートステイに母を預けることに理解を示し、

2人で母を説得しkました。

 

そんなところに行くくらいなら死ぬ

 

またまた母の『私をわかって!』

パフォーマンスが始まります。

その時に慌てて介護認定も受けようと

父に話をし、ようやく父は重い腰を

上げました。

 

俺に何かあったら、お前だけだと大変だよな・・・

お母さんを1人にできないな・・・

 

現実を見るようになった父。

 

初めて受けた介護認定で要介護3

 

ある程度のことが出来なくなってきた母の

認定をきっと、要介護1か2くらいだろうと

思っていましたが、思いがけず

要介護3・・・

それほど母の病状は進んでいました。

その後は母予定通りショートステイに行きました。

案の定、施設から連絡が入り、

 

お母さんが不穏で妄想や暴言を吐いたりしています。

暫く毎日お母さんに会いに来ていただけないでしょうか?

 

当時私は、仕事と子育て、父の面会手術のことなどで

母のところに行く余裕すらありませんでした。

施設側にも、

会いになかなか行けないこと、

逆に会いに行くと母がますます不穏になること

などを伝えていました。が、母は

 

ここから出して!

 

と叫んでいるようでした。

その数年後、母は特養に入所しますが、

全く同じような状況で施設を追い出されるのです。

要介護3の母・・・

色々なことが出来なくなり、特に精神的におかしくなって

いきます。

 

介護認定は家族のためにも必要と感じた

 

今、父は要介護1

要支援ではないので、父が使えるサービスもあり

助かっています。

母代わりだった近所に住む叔母は、要支援・・・

叔母は頭はしっかりしていますが体力が次第に

衰えていき、歩くのも困難な状態。

でも要支援なのです。

母の経験からか?父は叔父や叔母たちに

 

今使わなくてもいいから認定を受けた方が

いいぞ。うちの娘に頼んだら手続きしてくれるから

 

と言っています。

イヤイヤ、私はケアマネじゃないし(;^ω^)

ただ地域包括に連絡するだけだから(笑)

そんな父ですが自分は必要ないと言って

介護認定書を返納しようとしていますが(笑)

でも、使わないにしても申請だけでもしておくには

必要かと思います。

家族やご本人が慌てないように。

結果、父も誤嚥性肺炎で入院した時に

医師から申請を勧められて、

今まで断固として拒否してきたのに、

医師の言うことは聞く(笑)

そのおかげで、今少しでも福祉の支援を利用出来て

助かっています。