野宿遍路という出来もしないことを妄想するより、もう少し出来そうなことを考える方が建設的だと反省しきり。写真のこの標語?は36番青龍寺(しょうりゅうじ)へ向かう途中の塚地峠の山中で見かけたものでその時「夫婦遍路」に少なからず願望を持っていたのかもしれない。現場では意味が分かり難かったが取りあえず撮っておいて後でその云わんとするところを吟味しようと思って撮っていた。
『夫婦遍路との お四国は お大師さまとの 出会いかと』
夫婦遍路とのがでのならまだ少し分かるのだが・・、
『夫婦遍路での お四国は お大師さまとの 出会いかと』
または、夫もしくは嫁とのお遍路は・・、と言いたかったのか?まぁ、多分『夫婦でのお四国は色々問題は起こるだろうが、そこはお大師さまから与えられた試練、または気付きと理解して歩き進む事、そうすればお互いの理解がさらに深まりますよ』と言いたかったとワタシはとった。
『夫との お四国は お大師さまとの 出会いかと』
『妻との お四国は お大師さまとの 出会いかと』
それとも夫婦の外に第三者がいて『夫婦二人のお四国参りを見ていて、そこにお大師さまを見た!』と云う事なのかも知れない。
『夫婦遍路と一緒する お四国は お大師さまとの 出会いかと』