■ 徳島三日目 いよいよ13番大日寺に向けて | 独り言に近い「お遍路ブログ」を目指してます。

独り言に近い「お遍路ブログ」を目指してます。

無理をせず日常生活の一部として融合するよう、継続させていきたいと思ってます。

44 なべいわ荘を6時55分に出発して玉ヶ峠を越えふもとの「植村旅館」に着いたのが9時ジャスト。その植村旅館の手前にある橋を渡り、川と平行に歩いていくと・・、

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再びこの橋を渡って元の県道を歩くことになる、このころには日が差しだし道路も乾いてきている。昨日(焼山寺越え)と今朝(玉ヶ峠越え)ではゆっくりと「お遍路」を味わうことが出来なかったのでこの橋の先の岩で休憩を兼ねて遍路地図を見ていると続けさまに男性二人女性一人の一団のお遍路さんが目の前を通り過ぎて行った。

そして、そのすぐ後に若いお遍路さん(後で知ったが歳は20過ぎで敦賀の原発の警備をしていたが、思うところがあって1ヶ月の休暇をもらって一国参りをしているらしい)に『大日寺さんですか?』と声をかけられた。

その質問の意図が分からなかったが、『そうです』と答えると、『そうですか』といって立ち去った。ワタシを逆回りしてる遍路と思って、あとどれくらいの時間で大日寺に着くのか聞きたかったのか、地図を見ていたので教えてくれようとしたのかもしれない。どちらにしてもあまり遅れを取るのも嫌なので、一口水を飲んで腰を上げた。

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前を行く二人目のお遍路さん(75才だったか神戸在住で元建設関係)との距離がゆっくりゆっくり縮まり会釈して追い抜き、そして先でワタシが写真を撮ってると追いつかれたりする間合いで進んでいた。(女性遍路さんは最初に追い越した後しばらく顔は合わせなかった)

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神戸のお遍路さん(通しで巡られるらしい)に追いつかれないよう急ぎ足になってかれこれ進んだので、ココで休憩させてもらうことにした。(10:10着)

最初、年の頃80才位の男性が出てこられたので『休憩させていただいてます、助かります。』とお礼をいうと『お茶でも出しましょうか?』とおっしゃるので『これで大丈夫ですから』と手に持っていたペットボトルを上げて辞退した。(多分、家の中にいてじっとしていると寒く感じてる気温だったので、それで温かいお茶で接待しょうと思われたのだと思う)

しばらく休んで「体温」を下げてから速乾シャツの上に上着を着込んで白衣をまとっていると、奥さんが出てこられて『煎餅だから重くないのでお接待させてください』と手渡ししていただいた。

去年の遍路と今回の遍路を通して初めての「お接待」を頂いた。一瞬、納め札を渡さねばと思ったが日にちを「三月吉日」と書き、住所も「愛媛県」とだけ書いた納め札にシャチハタの印鑑を押したものしかなく躊躇した。(今思えばそれでもお渡しして感謝の意を伝えるべきだったと後悔している。)

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(「おやすみなし亭」の字面をみると「休むな」と一瞬感じてしまうが、当然そうではなく「なし」は“無し”の“なし”ではなく、“なさい”という方言らしい)

さて、この「おやすみなし亭」というヘンロ小屋があるのを知らずに手前で本格的な休憩をしていると、先ほどの神戸のお遍路さんに追いつかれてしまい、しばらく一緒に歩いて来てココの前にやってきた。


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なかにはポットがあってインスタントコーヒーの瓶が置いてあった。二人でコーヒーを飲みながら神戸遍路Hさんの健脚を称えると、氏は2月から4キロのリュックを担いで2日に一回、15kmを歩いた。そして今回の遍路に出るにあたって六甲山の坂道(45km)を歩きとおしたらしい。

どうりで小股だが着々と歩を進める後ろ姿に「強さ」を感じたのはそういうことだったのか!と恐れ入った。ワタシのように足にアンクルリストウエイトという重りはつけているが一週間でトータルで60分という速歩だけで「鍛錬した」と思い込んでいたことを恥じた。

でも、いろいろお話を聞けて楽しかった、『あと小一時間頑張れば着くでしょうね!』と頑張りの意味を込めて云うと『13番大日寺まで20分と書いてますよ』とワタシの後ろの壁に貼ってあった紙を指さしてそう言われてしまった、汗。(11:20出発)