大西巨人と部落差別問題(下)―真の自立と連帯①

 

【この記事の概要】 現在、私は、1977年10月に部落差別の問題を正面から取り上げることをテーマとして創刊された文芸雑誌『革』(当初の編集委員は野間宏、井上光晴、竹内泰宏、土方鐵、杉浦明平、川元祥一など)に、2020年9月から「解放文学の軌跡」という評論を連載しており、その批評をブログで公開します。

今回は、「解放文学の軌跡」の第1回にあたる「大西巨人と部落差別問題(下)―『黄金伝説』と『神聖喜劇』―」(『革』第34号、2021年3月)の第3回目「第9章 真の自立と連帯のあり方①」を掲載します。この評論の引用・転載は自由ですが、必ず出典を明記してください。

 

なお、4月20日に、『革』に連載した、この「解放文学の軌跡」に、中上健次論、作家・善野烺さんとの対談を加えた『解放文学の軌跡』(約700頁。税込7700円)が刊行されました。また、『週刊読書人』4月24日号には、この本の出版を記念して、本の「帯」の推薦文を書いていただいた静岡大学名誉教授・黒川みどりさんと私との対談が掲載されています。

 

 

目次

 はじめに 解放文学の可能性

 第一章  大西巨人「黄金伝説」の要約

 第二章  「黄金伝説」の時代

 第三章  部落、差別との出会い

 第四章  「黄金伝説」の評価

 第五章  中野重治、土方鉄の批判(以上、『革』第33号掲載)

 第六章  『黄金伝説』から『神聖喜劇』へ

 第七章  軍隊と部落差別

 第八章  人間の存在の尊厳をめぐって

 第九章  真の自立と連帯のあり方

 おわりに 『神聖喜劇』以後(以上、『革』第34号掲載)

 

第9章 真の自立と連帯のあり方

       (1)

「知りません」禁止、「忘れました」強制問題

 軍隊における「知りません」禁止、「忘れました」強制という慣習の問題について、大西は「私は誓って言いますが、私の約四年間の軍隊生活において、私の知る限り、『「知りません」禁止、「忘れました」強制という慣習』に疑問を表明し・またはこだわり・または『知らない』が当然のことを『忘れました』とは決して言わなかった兵隊は、一人も――あるいは一人だけしか――いませんでした。さらに私は誓って言いますが、私の知る限り、敗戦後における広義戦争文学(小説、記録、手記など)のどれのどこにも『「知りません」禁止、『忘れました』強制という習慣』のことは、書かれなかったのです。」(「面談 長編小説『神聖喜劇』について」前掲書、376頁)と語っている。

『神聖喜劇』では、この「知りません」禁止、「忘れました」強制の問題は作品の最初の方で取りあげられており、東堂とともに、そこで重要な役割を担うのが部落民・冬木照美である。その冬木と東堂との出会いは、次のようなものであった。

 東堂が橋本と初めて会ったのは対馬へ向かう定期船の「三等船内で、ずっと隣同士に寝ていた」(①200)時であったが、冬木を最初に見たのも定期船の甲板の上であった。その時のことを東堂は「二度目に甲板に出た際に、私は右

舷の中ほどの欄に凭ッて、最も長くそこに留まった。黒い外套を着て戦闘帽をかぶった若者が、私以外にただ一人甲板上の客であった。」(①8)、「欄を離れようとして、私はよろめき、小さい叫びを上げた。若者は、初めて私のほうにちらりと正面の顔を見せた。彼の双眼の青い輝きを、その瞬間の私が、印象的に認めた」(①9)と述べている。

冬木や橋本が兵営到着以前に東堂と印象的な出会いをしていたことに設定されているのは、その後の東堂との共同の闘いや彼の内面の「変化」に果たす冬木や橋本の重要な役割を暗示させる意味があったからであろう。そして、この出会いから10日ほど経った1月19日、「知りません」禁止、「忘れました」強制問題が起きた。

 その朝、第一班長の仁多軍曹が、朝の呼集時間を知らずに歩いていた冬木ら四人を並ばせて説教をしていた時に、それより遅れて歩いてきた東堂に対して、「朝の呼集時間を、お前は忘れたのか」と咎めた。「『朝の呼集時間』? 忘れるも忘れないも、そもそも知るはずはあるか」と思った東堂が「はい、東堂は知りません。」と答えると、仁多軍曹は「わが国の軍隊に『知りません』があらせられるか。『忘れました』だよ。忘れたんだろうが? 呼集を?」とあざけった。東堂が「東堂は知らないのであります。」と繰り返したので、仁多軍曹は「チェッ。わからん奴じゃなぁ。お前は、『忘れました』が言われんのか。」と言い、東堂を孤立させるために、四人に「忘れました」と答えたさせた上で、仁多軍曹はふたたび東堂に向かって「どうだ、お前は。」と迫った。これに対して「忘れました」と繰り返した場合、仁多軍曹は立つ瀬を失い、暴力に訴えてくる可能性もあり、東堂は葛藤しながらも、次のように返事をした。

 「・・・私が「忘れました」と言いさえすれば、これはまずそれで済むにちがいなかろう。これもまた、ここでの現にあり、将来にも予想せられる、数々の愚劣、非合理の一つに過ぎない事柄ではないか。これに限ってこだわらねばならぬなんの理由が、どんな必要が私にあろうか。一匹の犬、犬になれ、この虚無主義者め。それでここは無事に済む。無事に。・・・だが、違う、これは、無条件に不条理ではないか。・・・虚無主義者に、犬に、条理と不条理の区別があろうか。バカげた、無意味なもがきを止めて、一声吠えろ。それがいい。」と揺れた。しかし最終的には「私は、『忘れました』を口にするのを私自身に許すことができなかった。」そして「東堂は、それを知らないのであります。東堂たちは、そのことを、まだ教えられていません。」と、相手の目元をまっすぐに見つめ、一語一語を、明瞭に、落ち着いて、発音した。

 これを聞いた仁多軍曹の両眼が「険悪な忿怒の色に急変してゆく」時、「『班長殿』」意外にも、私の右側から一つの底力のある声が起こった。「冬木二等兵は、まちがえて嘘を言いました。冬木も東堂二等兵とおなじであります。朝の呼集時限のことを、冬木二等兵も、忘れたとじゃなかったとで、知らんじゃったとであります。」

芸術作品以外の場では私が久しく経験しなかった程度の感動が、その瞬間私に生まれた。(①33―34)

 先にも見たように、軍隊における「知りません」禁止、「忘れました」強制の慣習について、その成立事情を推理した東堂は、それが「下級者に対して上級者の責任が必ず常に阻却せられるべきことを根本性格」(①208)としており、「その上へ上への追跡があげくの果てに行き当たるのは、またしても天皇」(①209ー)であり、「日本軍隊の表象」は「累累たる無責任の体系、厖大な責任不在の機構」(同前)である、と述べている。

そして、もう一つこの問題で重要なのは、東堂が「・・・まして私は、この軍隊を人外の境地とも、この私自身を人外の存在とも、すでに早く観念してここに来たのである。その人外の私が、その人外境で、何を欲して人間的理性にかかずらったのであろうか、何を(みずから)恃んで所詮抗すべからざる威力(軍)に果かなく歯向かおうとしたのてあろうか。・・・何を私が(みずから)恃んだにせよ、どうせそれは笑止な蟷螂の斧でしかあり得まいに。」(①60)と語っている点である。

 東堂に突きつけられたのは、絶対服従という軍隊の秩序に従って、理不尽なことも受け容れて「一匹の犬」になるのかどうか、ということであった。もちろん、この問いは、東堂以外の四人にも突きつけられたものであったが、実は現在の世界を生きる私たちへも向けられたものであったと解釈できるだろう。そして、東堂が最終的に選んだのは「私は『忘れました』と口にするのを私自身に許すことができなかった」と、人間であること・自分が自分であることを守り通すことであった。

 

「五分の魂」

 東堂のそのような思いは、当初は「忘れました」と答えていた冬木も同じであった。「知りません」禁止「忘れました」強制について、二人は後に次のように話し合っている。

 

 それでも私が「あれは、つまらんバカげたことだったのかもしれないですよ。自分でもまだよくはわからんが。」と冬木に返したのは、私の本音であって、その私は、心の一隅に「子曰ク、三軍モ帥ヲ奪フベシ、匹夫モ志ヲ奪フべカラザルナリ」(『論語』にある格言。大軍に守られている総大将は討ち取ることはできるが、たとえどんなに身分の低い人でも、その人が守っている志を変えさせることはできないという意味―宮本)、という言葉がうごめくのを意識したが、あのとき(あの中休時)に最後に私の頭に浮かび出たのは、高遠の格言ではなくて、通俗の諺であった。「一寸の虫にも五分の魂」。あたかもおなじ文句が、冬木の口から夜気の中に重たく放たれた。

 「でも、やっぱり『一寸の虫にも五分の魂』じゃから。・・・」(中略)

 「そりゃそうだ。」と私は、冬木を肯定し、前に向き返って、「君の言うとおりだ」とさらに付け加えた。(①61)

 

 この「一寸の虫にも五分の魂」という諺の「五分の魂」という言葉は、『黄金伝説』でも、主人公・新城と部落民・松田とが連帯していくための重要なキーワードとして使われており、タイトルそのものが「五分の魂」である最終章(31)の最後は、「五分の魂」を持った人間として立ちあがり闘っていくという松田の決意で結ばれている。このように大西は、「五分の魂」という言葉を革命運動や部落解放運動における重要な言葉として意識的に使っていた。

 ところで、『神聖喜劇』で「知りません」禁止、「忘れました」強制の場面が書かれていた時期(「第一部 絶海の章」1955年2月起筆 1960年7月擱筆)、大西は、「俗情との結託」(前掲)に対する野間の反批判に答えた「再説 俗情との結託」(『新日本文学』1956年6月号)を書いている。そのなかで、こう述べている。

支配階級は、この「人民である入隊者」――殊に職業軍人ならざる大多数――を「彼らに奉仕する武装人間特殊部隊」に化するべく、懸命の努力を必要とする。それゆえに人民と軍隊(支配階級)との敵対関係は、軍隊による軍隊外人民の弾圧の場にだけあったのではなく、「現役ないし補充兵その他として徴兵・召集せられた人民」にたいする「特殊部隊」化強制の場にもあった――つまり軍隊内部にもあった。(中略)そしてしかし私は、軍隊の小説、殊に「知識人と革命家の責任」を意図の上の主題とせる『真空地帯』にあっては、この敵対関係の内部存在の観点、上からの同化吸収にたいする人民入隊者の抵抗の見地が最も重要であるのに、作者野間の兵営観において、その把握がほとんどまったく欠如している、という点を非としたのである。(『大西巨人文選』1新生、みすず書房、1966年、420~421頁)

 このような大西の認識からするならば、「知りません」禁止、「忘れました」強制の問題は、「上からの同化吸収」による「特殊部隊化」強制に対する「人民入隊者の抵抗」、つまり個々の人間の個性や判断能力を否定し、人間を交換可能な「消耗品」に変えることへの闘いと言い換えることができるだろう。そして、そのような「無条件に不条理なこと」への「同化吸収」に対抗し得るものこそ、人間の尊厳を貫く覚悟をすることを意味する「五分の魂」であった。しかも、その「五分の魂」の重要性が東堂と冬木の双方の口から同時に「放たれた」ことに、革命における知識人と部落民の果たす役割についての大西の強い意図が働いていたといえるだろう。