あなたがこの世にいたから、命の姿を借りて来たのですよ!
あなたがいなければ、仏さまの姿のままで、命の姿なんて借りてまでやって来ないですよ。
だって、この世には苦があるからね。
わざわざ苦しい思いをするために命の姿を借りてやって来ないでしょ。
「そんな苦なんて、どうでもいいの!」と想えるほどの相手がいたから、そんな相手と触れ合うためには身という姿が必要だったのですよ。
姿という種族が同じであれば、それに越したことはないのでしょうけど、そんな都合のいい命の器はなかったのですよ。
あったのは、同じではないという不都合な他の種族の姿だったのですよ。
そんな不都合をも超えるほどの相手が、この世にいたんですよ!
あなたのことです。
あなたのことが嫌なら、そもそも出逢いもしないし、暮らしなんてとんでもない!
すべてが分かり合えなくたっていい!
多少の不都合なんて気にしない!
寿命?生きる時間?そんなのどうでもいい!
この命の器なら、あなたに触れられる。
この命の器なら、あなたを感じることが出来る。
今回の出逢いは見送って、もっと条件の良い器を選んでも良かったのでしょうけど、それではこの世では一緒に暮らせなかったことでしょう。
守護者として、見護るだけの視えない・触れられない存在としてあるだけで、あるのか・いるのかすら分かってもらえない・気づいてもらえないままなんです。
あなたが先にこの世にやってきたから、後から追いかけて来たのですよ。
あなたがいたから、出逢いがあったのですよ。
他の誰ではないのです。。。
あなたがいるから、この先も想われるのです。
他の誰かでは忘れ去られます。。。
あなたがいたから。
あなたがいるから。
そこに想いがあるのですよ。
あなたなくしては存在しないのです。。。