このお話は実際にメキシコであった実話です。



少年のお父さんは、列車と船が安全に通行できるようにする為に橋の管理を行う仕事をしていました。


少年はお父さんの仕事がとても大切なものであることを良く理解していました。


船が通る時間がくると、橋桁を機械で操作して、船を通し、列車がくる時間までに橋桁を元に戻すという大切な仕事をしていました。


少年はお父さんの仕事を観るのが大好きでした。
列車や船と電話でやりとりをしているお父さんを観ていると、何だかとても誇らしく思えるのでした。


そんなある日、いつものように学校から帰ってきてお父さんの仕事を観ようと仕事場へ行こうとしました。

その日は、学校で描いたお父さんの絵を早く見せたいと思って近道であるその橋の上を歩いて渡ることにしました。

そうすれば大好きなお父さんに早く会えるからです。


お父さんは息子が橋を渡ってくることに気がつきました。まだ、列車が通過するには少し時間があると考え、いつもより早めに点検を済ませて息子を迎えに行くつもりでした。


点検スイッチを操作し、橋桁を下ろす自動操作をしたところ、異常を示す赤ランプと警音が鳴り渡りました。父の顔はこわばりました。何度やり直しても赤ランプは消えず警音も鳴りやみません。


息子の位置を確認するとまだ橋の半分も渡っていません。しかも靴の紐をなおすためにしゃがんでいるようでした。


少年に危険を知らせにいき、橋桁を手動で動かすのに必要な時間は既にありませんでした。
早く橋桁を下ろす為に手動操作の作業に取りかからなければ、大勢の客を乗せた列車は川底に落ちてしまいます。


父は息子を愛していました。息子と過ごした楽しい日々が走馬燈のようによみがえります。
いまなら列車がくることを知らせにいけば息子は助かります。しかし・・・・・・。
父は心の中でどちらを優先させるべきかを迷っていました。ほんの一瞬の迷いではありましたが・・・


そんな中、息子の笑顔と笑い声が頭によぎり父の背中を大きく押したのです。


そして『父さん、僕は大丈夫だよ。お父さんの仕事がとても大切な仕事である事を僕は知っているよ』
そんな少年の声が心の中で聞こえたのです。


父はその声に従い、夢中で橋桁を下ろす作業を選びました。

我が子の無事を願い祈るような気持ちで・・・・・・・。


そんな父の大切な息子への想いを知らずに列車は何事も無かったかのように橋を渡り去りました。


父は息子の亡きがらを抱きしめながら、息子が父の心にこうささやく声が聞こえました。


『僕ひとつの命で沢山の人の命を救うことが出来たのだから
 僕は満足だよ ありがとうお父さん』・・・と。


今日はクリスマス・イブです。
クリスマスは神さまからのプレゼントである、ベツレヘムの馬小屋で産まれた幼子イエスの誕生を祝う日です。


列車に乗っていた人たちは、一人の少年の尊い命の犠牲によって無事に橋を渡ることが出来たということを知らないでいました。

私たちは、クリスマスのお祝いが何故行われているのか分からずにケーキを食べ、プレゼント交換を行っています。

神さまのプレゼント・・・・それは神さまの、大切なイエスによって世界中の人たちの中から一人でも救われることを願って地上に遣わされたのです。


私たちがその事を知らないままであってもです。

イエスは神様からのプレゼントだったのです。

神様はイエスを、そしてイエスは自らの命を十字架にかけられることが分かっていても
私たちの為に与えられたのです。


サンタクロースの衣装が赤なのは
イエス・キリストが流された血を象徴しています。


クリスマスは『与えること』で得られるよろこびを知る素晴らしい機会です。


でも、それ以上に私たちは沢山のものを与えて貰っています。


数えて直してみましょう。
既にたくさんのものを私たちは与えられていることを・・・・。


あなたに見えるモノも見えないモノも含めて神様から与えられているプレゼントを数え直してみましょう・・・・。


どんな神さまからのプレゼントがあなたには見えますか?