人間は宇宙と共に、進化してきました。

物質的肉体を得て、生命力を得て、感情を得てきました。

そして、自分を自分であると認識するに至りました。

 

動物は自分を自分であるとは認識することはありません。

おぼろげな意識はあるとしても、確信をもった自我を獲得するには至っていません。

人間は進化の過程でついに自我を獲得することができたのです。

 

しかし、この自我は諸刃の剣でもあります。

両義的であり、善と悪の二面性を持つものです。

 

その自我の獲得の場面が旧約聖書ではアダムとエヴァの物語として語られているのです。

つまり、善悪を知る木の実です。

そして、それを得たために、人間は動物界という楽園から追放されたのです。

 

動物界においては自我は個体にではなく、種が担っているのです。

ですから、動物の個体は自我を種に委ねた状態と言えるのです。

それが「楽園」の意味です。

そして人間は当初は種に担われていた自我を、民族、祖先などの血縁に、そして、ついには個々人が担うように進化してきたのです。

 

個が自我を担うことによって、人は善ばかりではなく、悪へも、知恵を働かせることができるようになったのです。

そして、自我=エゴであるために、他者を斥け、自分を有利にしようとするのです。

 

この自我の獲得こそが、すべての悪の根源とも言えます。

動物界は弱肉強食ではあっても、そこに悪は潜んではいません。必要以上のものを自分のエゴの為に捕ることはありません。

 

人間に自我が与えられたことは宇宙的な進化です。しかし、その進化は善ばかりではなく、悪をも生み出す諸刃の剣でした。

 

そこで人間は死を経て、霊界から自らの行動について回顧し、次の人生において、その過ちを修復するという「カルマ」が与えられたのです。

そのカルマによって、自我がさらに強化され、悪を克服する能力を獲得することができるのです。

 

つまり、自我による悪とは、自我の未熟さであり、自我の未完成部分の発現でもあるのです。その欠陥部分を補正して、改良していくことがカルマによる私たちの課題なのです。

 

自我は、個が強くなること、すわなち個体化、個性化を求めます。

自我が強くなるほど、人は群れずに孤立化するのです。

ハリネズミのジレンマとはそのような自我の強さによって、他者を傷つけてしまうための孤立を表しています。

 

また、自我は悪知恵を働かせ、競争し、独占しようとします。

自我は他者を支配しようとします。

 

それらは経済、戦争、世界が一握りの支配者層に支配されていることなどの根源なのです。

しかし、それらは自我によるものであるとしても、自我の成長が誤った方向に向かった結果でもあるのです。

そして、宇宙的な進化の方向は決してそのような独裁でも共産化でも全体主義化でもなく、調和であり、自我が調和性を獲得していくことであるために、必ず、カルマ的に修正されていくべきものです。

 

私達がその支配力によって、知らずにその構造に巻き込まれることになったとしても、それは自我が未発達であるために、それらを斥けることができなかった故ともいえるのであり、それ自体がカルマ的に修正されなければなりません。

 

社会問題の根底にあるのは、政治でも経済でもありません。環境問題でも貧困でもありません。

社会問題の核心は、人間自我の未成長、未熟さにあるのです。

 

であるならば、人間自我をどのように正常に、正しい方向に発展させることができるかが問われなければなりません。

まさに、シュタイナー教育はそのための教育方法なのです。

 

現代の主流となる教育は完全にエリートに支配された教育であり、子どもたちの自我の成長を促すのではなく、むしろエリートに支配される人間を作り上げることが目的なのです。自我を育てるのではなく、自我を放棄させ、支配者に依存させるのです。