過去と現在と未来、そこに潜んでいる叡智について洞察することで、祈りの本質が見えてきます。

 

私たちは過去の自分の行為や行動について、あとから気づくことがあります。

自分の行ったことが、間違っていたり、足りなかったりすることに、後で気づいたりもします。

 

ですから、一度やったことについては、一度無意識に委ねて、無意識の中の叡智が何かを気づき、啓示として降りて来るまで、一瞬の間を置いた方がいい場合があります。

 

「ハイ、これでおしまい」と思って、片付いたと思っていたことが、あとから、間違いや不足に気づくことがあるのです。

ですから、片付いたと思わないで、一晩、じっくり寝かせておくと良いのです。

 

日常の行いを精神世界に届け、精神世界から、フィードバックがやって来るのです。

 

私達が精神世界とのつながりに気づき、日常と精神世界との行き来が必要であることを理解すると、ものごとがスムーズに進んでいくのです。

 

同様に、未来についても、精神世界とつながることで、スムーズにいくことがあります。

 

明日苦手な相手と接しなければならないようなときに、前日の晩に、その人と会って、対話している場面をイメージするのです。

すると、明日その人と会うという情報が精神世界につながり、精神世界で調整機能が働き、スムーズに事が運んでいきます。

 

また、未来からダイレクトなメッセージが届くこともあります。

いわゆる直観です。

直観的に「こうしておいた方がいい。こういう行動をとった方が良い」を気づくことがあります。

ところが、そう気づいても、それを行動に移さない場合があります。

そして、その結果失敗したとき、実は直前に直観が来ていたのだ気づき、なぜ直観に従わなかったのかと悔やむのです。

 

その過去からのメッセージと未来からのメッセージを受けとめることが、祈りなのだといいます。

 

過去からのメッセージは、修正と理解です。

過ちを正しい方向へと変換するためのメッセージです。

ですから、そのメッセージを受け取るために必要な心的状態が敬虔です。

謙虚であるということです。謙虚にならなければ、そのメッセージを受け付けることができません。

 

未来からのメッセージは献身、奉仕です。

未来の行為に自分を捧げることです。

直観的に受け止めたメッセージに自分を委ねることができないために、後で後悔する結果を導くのです。

 

過去からの叡智を受けとめるために、謙虚であること、敬虔な祈りが謙虚にします。

未来からの叡智を受けとめるために、奉仕すること、委ね、捧げることです。献身の祈りが、自らを捧げようとします。

 

キリストの愛はアガペーです。

神が人間を愛するように、人間が神を愛するのがアガペーです。

それは敬虔と献身を含んでいます。

愛とは、精神世界とつながって生きることなのです。

神とは精神世界の叡智とのつながりなのです。

神は人間を愛するがゆえに、叡智を与えようとしているのです。

ですから、人間は謙虚に、献身的に、その叡智とつながろうと祈る必要があるのです。