時代ホームにて と、中島みゆきさんの歌の歌詞を考察してきましたが、今回は「地上の星」です。

中島みゆきさんの歌は宇宙的なテーマが多いですね。

 

風の中のすばる

砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく

 

地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

 

崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく

名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む

風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく

 

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

 

 

人は輪廻転生しながら、前世のカルマを解消しつつ、少しずつ進化していくのです。

宇宙からやってきた魂は、死後に再び宇宙に帰ります。

 

ホームにてはまさに、そのふるさとである宇宙に帰りたいが、帰れないという歌でした。

 

 

地上の星という歌のテーマも、この「ホームにて」とつながっているのです。

 

私たちは死後に宇宙に帰ります。

しかし、宇宙の只中に、さまよっているわけでも、天国という楽園に暮らすわけでもありません。

宇宙に出てから、どんどん自分が宇宙的なスケールに拡大していくのです。

 

拡大しながら、宇宙の星々に、自分自身のカルマを書き込んでいきます。

そして、最大の拡大まで到達すると、次には、地球をめざして縮小していくのです。

 

その時に、拡大するときにカルマとして書き込んだテーマを、自分に運命のシナリオに書き込んでいくのです。

 

自分が蒔いた種は刈り取らねばなりません。

カルマは解消されなければならないのです。

 

そして、自らが描いた人生のシナリオを抱えて、地上に再び誕生します。

私たちは誕生して、しばらくすると、自分の人生のシナリオの記憶は消えます。

そして、何もわからずに人生を歩み始めるのです。

 

私たちが死後の拡大の時に書き込んだ星々へのカルマは運命として星々に書き込まれ、それが星々の配列として表現されているのです。

星々のアスペクトが人生の運命を表しているのです。

 

それが宇宙に書き込まれた人生の運命です。星々に書き込まれた運命です。

地上に降りると、その記憶は失われます。

しかし、知らず知らずに、その運命の道を歩いていくのです。

 

これが「地上の星」の意味です。

私たちは、地上に生まれた、星々に書き込まれた運命を生きる主体なのです。

ですから、私たちの中にこそ、星があるのです。

それが地上の星です。

 

しかし、私たちは自分の運命の記憶を失っているので、空ばかり見ているというのです。空ばかり見ていて、自分の星、地上の星を見ていないというのです。

 

空ばかり見ているというのは、占星術のようなものに、運命を問いかけているようなものです。

 

しかし、実際には自分に中に、運命が刻印されており、知らず知らずにその運命を生きているのです。

 

ところが、その運命を生きることが、世間を渡る中で見失い、運命ではない、他者のいいなりとか、他者や周囲に迎合した自分のない生き方になってしまい、自分の星、地上の星を忘れているのです。

 

地上の星を見失って掴むものは、氷ばかりです。

光っていそうに見えて、溶けて消えていくはかないもの、無常なものを掴んでしまっているのです。

本質を見失っているのです。

 

歌に出てくる星たちの名は、運命でもあり、カルマでもあります。

自分自身に運命を課して描いた人生のシナリオは、過去のカルマを清算し、進化していこうと天上で決意したものなのです。

 

ところがその決意を忘れて、人生を流されて生きているわけです。

地上の星が見えなくなってしまっているのです。