松山千春の「恋」は因縁やカルマということがとてもよく表現されています。

 

歌:松山千春

作詞:松山千春

作曲:松山千春

発売:2005-09-22 16:47:19

 

愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯はつけてゆくわ
カギはいつものゲタ箱の中

きっと貴方はいつものことと
笑いとばすにちがいない
だけど今度は本気みたい
貴方の顔もちらつかないわ

男はいつも 待たせるだけで
女はいつも 待ちくたびれて
それでもいいと なぐさめていた
それでも恋は恋

多分貴方はいつもの店で
酒を飲んでくだをまいて
洗濯物は机の上に
短い手紙そえておくわ

今度生まれてくるとしたなら
やっぱり女で生まれてみたい
だけど二度とヘマはしない
貴方になんかつまずかないわ

※男はいつも 待たせるだけで
女はいつも 待ちくたびれて
それでもいいと なぐさめていた
それでも恋は恋 ※

(※くりかえし)

それでも恋は恋

 

 

 

 

女性の気持ちを歌った歌詞ですが、男と女の立場の違いとすれ違いがよく表現されています。

 

嫌いになったわけでもなく、この「恋」がつらくて去って行こうとする女性

帰ってくる男性を思って、部屋の明かりをつけたまま去ろうとしています。

 

いつものことと思われるほど、何度も去ろうとしても去れない「恋」に、今度こそ見切りをつけようとしているのですが、どこかまだ未練が残されているようです。

 

なぜ、つらい「恋」なのかと言えば、男性に待たされてばかりいるからです。

待たされているのは、帰りかもしれないし、結婚かもしれません。

それに対してもう待ちくたびれてしまい、その男性だけに関わっていては、自分の時間を無駄にしてしまいかねないという焦りを抱えているようです。

 

今度こそは本気といっているけど、「本気みたい」とどこか自信がありません。本気みたいに思わせたいのでしょう。

「本気に見せて」彼の心を変えてしまいたいという裏心が見えます。

 

机の上に、洗濯物を置いて、置手紙を添えています。

書置きでしょうか? それとも遺書でしょうか?

「今度生まれてくるとき」という表現からは、死を予感させます。

 

それが「本気みたい」に見せるためなのか、本心なのかはわかりません。

しかし、何かを彼に伝えずにはいられません。

 

今度生まれてくるときも女で生まれたいといい、でもあなたに躓かないとも言います。

それが置手紙の内容なのかもしれません。

死や自殺を予感させるような仕掛けかもしれません。

 

しかし、今世ではカルマが解消できていないので、来世に引き継ぐとすれば、この女性はカルマ的に考えると、次には男性として生まれてくると考えられます。

 

女性は今世女性として生まれて、過去世からの因縁によって彼と出会ったのですが、彼からのプロポーズを待つばかりで、何も自ら働きかけることができなかったようです。

 

彼が、いつもの店で飲んだくれて、くだを巻いているのは、仕事上の悩みかもしれないですが、実は彼女が待つ家に帰りたくないのかもしれません。

彼女がもの待ち顔で家にいるのが、苦痛なのかもしれません。

そうだとすれば、彼女自身が彼に、飲んで、くだを巻かせている要因となっているのかもしれません。

それに気づかないことが、カルマの解消できない原因とも言えそうです。

 

次に男性として生まれてきて、彼が女性の立場で出会ったときに、彼が抱えていた問題を体験することになります。

そして、男の立場から女性となった彼を見て、今世から引き継いだカルマを解消しなければならないでしょう。

 

因縁というものはそういうものです。今世、私たちは来世への因をつくっているのです。

今世でカルマが解消できて清算できてしまえば、因が消えて、縁が生じません。因縁から解き放されることとなります。それが因縁解脱です。

 

彼から離れて、出ていくだけでは因縁は解消されません。

新たな課題、カルマをつくり出すだけです。

本当に彼と向き合って、過去世から抱えてきた因縁と向き合って、清算しなければならないのです。

前世では彼女が彼を苦しませてきたのでしょう。

それが解消できずに、清算できないからこそ、今世再び出会い、互いにカルマを解消しようとしているのです。

ところが、彼も飲んだくれて、それを避け、彼女もそのテーマを避けて逃げ回っているので、どんどんドツボにハマっていくのです。

 

「恋」の多くが、こうしたカルマによる出会いなのかもしれません。

そして恋の悩みこそが、カルマの本質的な部分なのかもしれません。

だからこそ、そこに向き合い、逃げずに、取り組まなければならないのです。

そしてそれが、ある種の共有された命題(テーマ=カルマ)の運命共同体としての彼と彼女なのです。