みなさん、覚醒は進んでいますか?

 

私たちは長い間、マーケッティングの犠牲になってきました。

 

 

 1 もっと使わせろ
 2 捨てさせろ
 3 無駄使いさせろ
 4 季節を忘れさせろ
 5 贈り物をさせろ
 6 組み合わせで買わせろ
 7 きっかけを投じろ
 8 流行遅れにさせろ
 9 気安く買わせろ
10 混乱をつくり出せ

こうして、大量消費、ゴミの山、環境破壊が作られていきました。

 

現代はさらにマッチポンプ商法がたくさんあります。

ワクチンがまさにそれです。

 

コロナ茶番デミックを演出し、ワクチンを売る。

ワクチンを売るために、恐怖を演出して、皆が恐怖にかられて、ワクチンに飛びつくように仕向ける。

 

問題⇒反応⇒解決

問題なし(実際には問題などはなかった)⇒反応⇒解決

 
解決の部分が、売りたい商品です。
 
これが、核反応のように、連鎖していくのが今のコロナ茶番デミック商法です。
コロナ茶番デミック⇒ワクチン接種⇒ワクチン副作用(帯状疱疹)⇒帯状疱疹ワクチン
⇒癌化⇒癌治療(抗がん剤)
 
そもそもこれまでもワクチンは病気を予防するのではなく、病気という免疫反応の症状を出せなくするものでした。慢性病を作り出していたのです。

 

結局ワクチンとは何なのか?
現代医学でIgG抗体=免疫と定義しているが、これは根本的な間違いである。

 

IgG抗体とは、異物・毒物・病原体を排出することができない状況において、臨時で異物・毒物・病原体に結合し、とりあえず無毒化・不活性化させるためのものであり、異物・毒物・病原体自体は体内にあり続けるということである。

 

つまり、IgG抗体がたくさんあるということは、免疫が低下しており、異物・毒物・病原体を排出できず、体内にたくさんあるということを意味する。

 

ワクチンは、病原体に対するIgG抗体を増やすことを目的として人体に接種される。

 

病原体とともに、アジュバントと呼ばれる毒物をワクチンの中に入れることで、ヒトの免疫を低下させ、病原体を排出できないようにさせること、すなわち、感染症の慢性状態を意図的に作り出すことで病原体に対するIgG抗体を増やしているのである。

 

健康を犠牲にして達成される予防など、予防とは言わない。

 

結局、ワクチンがやっていることは、予防とは真逆のこと、感染症の慢性病をつくり出しているのだということ。

 

これがワクチンの正体である。

これはまさ悪魔商法です。

 

 

 

いかにも逆のことをしていると見せかけつつ、
奴らの寿命を短くして、精神や判断力を弱く保つ。
奴らが「何が起きて居るのか」にけっして気づかぬよう
我々は持てる科学や技術の知識を巧妙に使う

軟質金属、老化促進剤や鎮痛剤を食物や水と空気に入れて利用する。
奴らの行くところ全てが毒に覆われる。
軟質金属はやつらを狂わせる。

我々の多くの前線が治療法をみつけると約束するが、その実もっと多くの毒を喰らわせてやる。

毒は奴らの皮膚から口から吸収され、彼らの正気や生殖器官を破戒する。
それゆえに奴らの子どもたちは死産もするが、こうした情報は隠匿する。
毒物は奴らの周りの奴らが飲み、食べ、吸収し、着るもの全てに隠される。

奴らは見通しが利くので、毒を仕掛けるにあたっては巧妙にしなければならない。
奴らには楽しいイメージや音楽を使って、「毒はいいものだ」と教えてやろう。
奴らが尊敬する人物は役に立つ。
そうした連中を毒物の奨励に協力させよう。

奴らは我々の製品が映画に使われるのを観、慣れ親しむが、それらの本当の効果については知ることはない。

奴らが子どもを産んだら、その子の血液に毒を注射してやり、子どもの健康のためだと思い込ませる。

早くから、奴らの知性や精神が、若い頃からはじめ、奴らの子どもが大好きな甘いものを使って狙うのだ。
奴らの歯が腐ったら、奴らの頭を殺し、未来を奪う金属を埋めてやろう。

奴らの学習能力が侵されたら、それ用の、しかし症状を悪化させ、別の病気を発症する薬を作ってやり、その先にもまた、薬を作ってやろう。

我々は奴らを従順で、脆弱にし、奴らは我々とその力に屈服する。
奴等は落ち込み、のろまでデブとなり、我々に助けを求めにたらときには、もっと毒をくれてやろう。

奴らが内なる自我と結びつかないように、奴らの関心をカネと物質に集中させる。
姦淫、外部の快楽やゲームで惑わし、すべてがひとつである調和と、けっして合体しないようにする。

奴らの頭は我々のもので、奴らは我々の思い通りに動く。
もし、拒否すれば、精神状態に変化をきたす技術を奴らに施すために方法を探し出す。

我々は「恐怖」を武器として使うだろう。
我々は奴らの政府をつくり、反対勢力も設ける。その両方を所有するのだ。
常に目的を隠しつつ、計画を実行する。

奴らは我々のために労働し、我々は奴らの労苦で繁栄する。
我々の一族は、けっして奴らと交わることはない。
我々の血統は、常に純粋でなければならず、それが掟なのだ。

 

以上のことから、わたしたちがいかにマーケッティングの犠牲になっているかがお判りいただけたでしょうか?

 

しかし、なぜ、そのようなマーケッティングの犠牲になってしまうのかを学習しなければ、いつまでたっても、手を変え、品を変えてのマーケッティングの犠牲になり続けることになります。

 

彼等は、まだまだやる気満々で、世界中に、特に日本でワクチン工場建設ラッシュ中なのですから。

 

「いやあ、もうワクチンは打ちません」と云っている人たちが、マイナンバーカードをマイナポイント欲しさに取得しています。

グリコのおまけのような、子どもだましに引っかかっているのですから、全然学習していないということです。

 

マイナンバーカードこそが、究極のマーケッティングシステムなのです。

 

彼等はマイナンバーカードとデジタル通貨を紐づけし、地球温暖化詐欺で、カーボンクレジットが割り当てられ、肉を買うとカーボンクレジットがたくさん引かれ、昆虫食ならカーボンクレジットを節約できるようなシステムをつくるのです。

 

「もう、カーボンクレジットの残り少ないから、月末までコオロギしか食べられない(泣)」と、コオロギ食に誘導されていくのです。

 

問題⇒反応⇒解決

 

コオロギ食が、彼らの売りたいものです。

 

このマーケッティングは魚を捕る網のように、はじめは目に見えないくらい離れていても、次第に絞り込んで、気づいた時には網から逃れられないようになっているのです。

いわゆるデストピアです。

 

それが彼らが目指す、グレートリセット、世界全体主義化なのです。

 

いったい、どうすれば、そのマーケッティングから逃れられるのでしょうか?

 

まだ、自由が残っているうちに、自由について学ぶことです。

そして、不自由を拒否することです。

 

以下はシュタイナーの「自由の哲学」からの抜粋です。

 

人間は具体的な表象を想像力(ファンタジー)を通して理念全体の中から作り出す。

 

自由な精神にとって、自分の理念を具現化するためには、道徳的想像力が必要なのである。

道徳的想像力こそ、自由な精神にふさわしい行動の源泉である。

 

人間行為の完全な形式の特徴は自由である。

 

人間意志が純理念的な直感をもつことができる限り、この人間意志は自由とみなさなければならない。

 

行為が理念的直感の表現となっていると思えたとき、人間はその行為を自由であると感じる。

 

自由であるということは、行為の根底にある表象内容(動機)を道徳的想像力によって自分から決定できるということである。

 

機械的な過程や世界外にいます神の啓示のような、私以外の何ものかが私の道徳表象を決定するのだとすれば自由などありえない。

 

したがって私自身が表象内容を生み出すときが自由なのであって、他の存在が私の中に植え込んだ動機を私が行動に「移せる」としても、それが自由になるのではない。

 

自由な存在とは、自分が正しいとみなすことを欲することのできる存在である。

 

自分が欲することでなはない何かをする人は、自分の中にないような動機に従って行動を駆り立てられている。そのような行動には自由はない。

 

問題が起こった時に、すぐに反応してしまうのが、不自由なのです。

問題が起こっても、自分の直感に従い、自分以外が動機づけているものに対して、容易に反応しないというjことです。

 

外から自分に働きかけて来るものの最も大きな影響力がテレビです。

ですから、自由を獲得する訓練を積もうとするなら、テレビを見ないことです。

テレビを捨ててください。

 

いや、捨てなくても・・・見ないようにするから

 

「捨ててください」は、私というあなた以外の人間の提案です。

そこに反応しないことです。

 

「ふーん、テレビを捨てろなんて書いてるけど、自分ならどうするかな」

と、常に自分を中心に考えるのです。

 

そうすれば、

「ワクチン打てなんて言っているけど、自分ならどうするかな」

と、考えることができるのです。

 

そして、直感的に、ワクチンを打とうと思うなら、打てばいいのです。

誰が何を言おうとも、打ちたいと自分が感じるなら、打てばいいのです。

ワクチンに効果があると思うなら、打てばいいのです。

 

誰かが言っているから、みんなが云ってるから、打てと言われたからと、

外の価値観や、外からの動機付けに反応しないようにするのです。

 

自分自身が動機づけたものを行為することが自由なのです。

 

私は誰にも動機づけられることなく、自分が書きたいと思うから、こうして書いています。

ブログを書くという行為においては、私は自由なのです。

自分が書きたいと思うことを、直感的に、道徳的想像力で書いているだけです。

 

誰のためでもありません。

人の為と書いて「偽」ですから。

 

ただ、自分の理念からの直感を、読んでくれた方が、共感し、理念が共有できることを願っています。

そういう自らの動機がなければ、自分の日記で十分で、外へ発信する意味はないのですから。

外に向けて書くというのは、誰のためでもないけれど、どこかで理念を共感しあえるひとがいるかもしれない、いて欲しいという願いです。あるいは祈りです。

 

この願いや、祈りは、読者に届くかもしれませんが、それ以上に私は理念界に届けたいのです。

 

つまり、自分の直感と思考を、理念化したいのです。精神化したいのです。

自分が生きるということは、自分の直感を理念化することだと思うからです。

 

そして、できるだけ知覚に基づいた具体的な事柄を通じて、それを理念化したいと思っています。

シュタイナーが「感情的神秘主義」と呼んだのは、おそらく、いわゆる「スピリチュアル系」のことかとも思うのですが、

私も一部は「スピリチュアル系」を含んだ部分があるかもしれないですが、そこに線を引くことを意識しています。

 

波動を高くして、引き寄せ♪」というテンションとは一線を引きたいのです。

ちゃんと、哲学をしたいのです。(もちろん、そうなっていない未熟さは認めますが)

ですから、「信じろ」とは言わないのです。

思考しろ」というのです。

思考の楽しさに憑りつかれているのかもしれません。

 

直感とは、純粋に精神的な内容を純粋に精神的な仕方で意識的に体験することである。

直感を通してのみ、思考の本質を把握することができる。

 

 

 

 

 

 

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ホリエモン大絶賛!
「自作自演乙」

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国民がさじを投げた民主党より質が悪い出来レースの数々。
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