みなさん、覚醒は進んでいますか?

 

自由感覚の続きです。

まず、自由の哲学からの引用です。

 

自由な精神の持ち主は、外からの強制から自分を引き離す。

そして、慣習や掟やタブー等のガラクタの中にいつまでも留まろうとはしない。

人間は自分に従う限り自由なのであり、自分に従わせる限りは不自由なのである。

 

おまえのすべての行為が本当に自由なのか、と問われることはあり得よう。けれどもわれわれひとりひとりの中にはより深い本性が宿っており、その中で自由な人間が語っているのである。

 

われわれの人生は自由な行動と不自由な行動とから成り立っている。

けれども人間本性の最も純粋な現れである自由な精神に至ることなしには、「人間」という概念は究極まで理解されたことにはならない。

 

そんなことは理想に過ぎない、と多くの人が言うであろう。

勿論である。

けれどもこの理想はわれわれの本性の内部に現実の要素として存在しており、表面にまで現れてこようと働きかけている。その理想は考え出されたものではなく、夢見られたものでもなく、生きたものであり、どんな不完全な人生であろうとも、その中で明らかに自らの存在を告げている。

 

人間が単なる自然物であったとすれば、理想を追求することなどまったく無意味であろう。理想の追求とは、たとえば当初は何の働きを示さなくても、現実へと人を駆り立てるような理想の所産なのである。

 

どの人間存在もすでに生まれついた時から概念を有している。
それははじめは生きるための法則として働いている。
この同じ概念は外的事物の中では知覚内容と分かちがたく結びついており、われわれの精神組織の内部では知覚内容から切り離されている。
 
人間の場合、概念と知覚内容がはじめは実際に切り離されているが、それは人間自身の手で再び実際にひとつに結び合わされるためである。
 
人間は、自分の力で自分の内なる素材に変化を加えることができないとすれば、不完全な状態に留まり続ける。
自然は人間から単なる自然存在をつくり出す。
社会はその自然存在を規則に従って行動する存在にする。
しかし、その存在を内部から自由な存在につくり変えるのは、もっぱら「自分だけ」なのである。
 
自然は人間がある段階まで進化を遂げたとき、人間をその拘束から解放する。
社会は人間の進化をさらに特定の段階にまで導く。
けれども最後の仕上げをするのは人間自身なのである。
人間は自分自身に働きかけ、自らを自由な人間へとつくり変えていくというのです。
それがシュタイナーの目指してきた、「自由への教育」であり、シュタイナー教育が目指す方向です。
人間が最終的に自由な人間へと達するための子ども時代からの基礎を、子どもの魂の要求の沿って、提供していくのがシュタイナー教育なのです。
 
人間は自らがカルマ的に体験した事柄(知覚内容)を、概念に結び付けていく使命を担っているのです。
そのことを通して、人間は理念界の中に、「理想」を築きあげていくのです。
その「理想」とは人間が進化していく方向であり、その「理想」を理念界から受け取り、直感し、行為に結び付けていくのが、私たちの使命でもあるのです。
 
これは、ある意味においては、人間が今後、天使へと進化していく方向の基本レベルと云えるでしょう。
天使となって、人間を導き、理想へと向かうためには、その基礎を人間として学んでいくのです。
 
天使という存在も、その昔は人間を体験してきたのです。
天使は高次元の存在であり、人間の未来です。
 
私は以前から宇宙人と天使存在は区別がつかないと考えています。
知的な存在としての宇宙人もまた、進化した生命体であり、その意味においては天使と同様なのです。
 
私は以前から、ひとつ前の世代に「コロナ茶番デミック」を展開しても、ほとんどの人がマスクをつけたり、ワクチンを打たなかったと思います。
明治の時代の人たち、あるいは江戸時代の人たちは、そのような「外部に依存」する感覚はなかったと思うからです。
自分で自分の身体を労り、養生し、それが出来ずに病気になっても、それを平然と受け入れていたでしょう。
 
それは人間として自立していたからです。
私たち現代人は、医療や情報など、多くを外部に依存していて、自らが自律的、主体的に管理することを怠っているのです。
 
特に「新しい生活様式」などというばかげた、くだらない規制を受け容れるような精神状態というのは、精神的な貧困なのです。
 
精神的な貧困状態は、自分が自由であることを忘れているのです。
自由を求めること自体が、何か社会的にモラルを犯しているような罪悪感を感じさせられているのです。
 
それが今日までの教育で受けて来た「社会的調教」であり、「不自由を受け容れる教育」なのです。
シュタイナーの「自由への教育」と真逆なのです。
 
 
 
 
 
 
精神世界からやって来た子どもたちには、理念を直感する力が存在しているのです。
ですから、大人は子ども達からたくさんの学びとインスピレーションを受けることができるのです。
 
ところが、教育を受け始めることで、それらの理想への直感力がどんどん、奪われていきます。
 
そしてついにはマスクもワクチンも受け入れることが当然だと考え、そこに違和感や不自由さを感じる「自由感覚」が麻痺してしまうのです。
 
おそらく、シュタイナー教育を受けた人たち、現に受けている人たち、その家族などは、ワクチン接種している人は少ないでしょう。
多くの人は薬も使わずにホメオパシーを使っています。
 
ワクチンが遺伝子に影響を与えているとすると、今後100年以上影響が続く可能性があります。
人類(ホモサピエンス)という種が、正常に戻るには時間がかかります。
しかし、その中で生き残っていく人たちで、世界中に広がるシュタイナー教育を受けた人たちの割合が高くなっていくとき、社会の変革を容易にするかもしれません。
もし、シュタイナー教育がなかったとするならと考えるとき、私は、シュタイナーが蒔いた種に感謝しないわけにはいきません。
 
理念界とつながり、そこから直感(インスピレーション)を受けて、地上世界の行為・行動につなげていく自由な新人類が新しい社会を創りあげて行くことでしょう。
 
私たちの世代はシュタイナー教育を受けるような環境はありませんでした。
しかし、ある時に、公教育の持つ、人間の自由の破戒に気づき、シュタイナー教育に可能性を直感して、未来を子どもたちに託すためにそれを受け入れてきたのです。
 
今、グローバリズムという獣が、牙をむいて私たちに襲い掛かって来ています。

 

 

 

 

食糧は彼らにとって戦略物質なのです。
食糧危機を起こし、遺伝子組み換えやゲノム編集で遺伝子操作すれば、彼らの特許となるのです。
全てを彼らの所有物とし、私たちは一切何も所有せずに「幸せ」になると主張しています。
 
彼らが云う「幸せ」とは「家畜」になるという意味です。
そして「家畜」とは自由を奪われ、考えることを諦める動物です。
Sheepleというのが、彼らが私たちに与える「幸せ」なのです。
 

フランス第二の革命でも書いたように、フランス国民が命をかけて戦いはじめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この光景、以前にもどこかで見ましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会的規範に従う人間はデストピアに誘導され、Sheepleにされていきます。
一度失った自由は、二度と取り返せません。
 
国家が国民を殴りつけているのです。
警棒で、ワクチンで、マスクで、マイナンバーカードで、
遺伝子組み換えで、種苗法改正で、ゲノム編集で。
 
国家は国民を絶対に守りません。
ワクチン接種を中止しない理由がそこにあります。
治験中ワクチンを安全だと言い張る理由がそこにあります。
彼等は国民を監視し、監理し、Sheepleにしているのです。
彼等はグローバリストに支配され、国民を売っているのです。
彼ら獣たちは、絶対に手をつけてはいけない、自然領域を経済領域的に乗っ取るために、悪の手を伸ばしているのです。
 
そして、彼らの理想は理念界には存在しません。