1995年3月20日  地下鉄サリン事件が起こった。

当時の私は阿含宗に関わっていた。

 

阿含宗管長桐山靖雄氏も、麻原彰晃が一時、阿含宗に居たことを認めている。

そしてまた、林 郁夫も阿含宗に居たことは、「オウムと私」を読んで、知った。

 

確かに当時は一種の解脱や超能力、修業がブームになっていた。

桐山靖雄氏は超能力で念力の火を灯したとし、麻原彰晃は空中浮揚したとし、若い信者を集めた。

 

今ではそれらが「アセンション」に変わった。五次元に進化するという。

 

林 郁夫の「オウムと私」は、他人事ではない、まさに鏡を見るような気持ちで、読んだ。

 

当時は本当に解脱できるなら、出家することもと、頭によぎったこともある。

それを、挫折せず、とことん打ち込むことで、「林 郁夫」が出来上がっていった。

私のような意気地なしには、そこまでの真剣さやまじめさが足りない。

 

しかし、その修業や、師への帰依のくそ真面目の先に、殺人を犯すどんでん返しが待っていようとは、本人には皆目見当がつかなかったに違いない。

 

確かに、チベットのミラレバを読めば、偉大なるヨギが人をポアする話もあるのだ。

未熟な弟子が、なぜそんなことをするのかと尋ねると、「こいつは将来、大きな悪事を働き、人々を苦しめるのだ」と説明する。

なるほど、さすがに優れたヨギには、未来が見えるのだ。我々のような未熟なものが批判的なことを云って申し訳ないという話になる。

 

まさに、これがオウムだ。

そして、林郁夫だ。

 

アレフとして残っている上祐史浩と宮崎学との対談本「オウム解体」も読んだ。

別の視点で立体的に見ることには役だったが、内容はほぼ無い。

そんな問題ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスコミを賑わした「洗脳」事件のひとつに、X JAPANのトシがいる。

実は当時、トシと会話したことがある。

「洗脳」を目の当たりにしたひとりだ。

トシは自分の意見や気持ちを語っていると思っている。

しかし、それはまぎれもなく刷り込まれたものだった。

 

では、今の自分が本当に何にも洗脳されていないのだろうか?

 

昨日書いた、厚生労働省:コロナの存在を証明できるものはない

を見てほしい。

これほど「コロナ、コロナ」と世界中で騒いでいるが、コロナの存在を証明できるものが存在しない。

マジックである。

そのマジックの種としてPCR検査がある。

そしてトップダウンというピラミッド構造の支配構造と、メディアの洗脳力がある。

 

キリストが娼婦が裁きにあっているところに出会い、

「これまで一度も罪を犯したことのない人はこの女に石を投げるがよい」と言う。

そこに残ったのは娼婦とキリストだけだった。

 

同様に、

「完全に洗脳されていない者だけ、オウムを批難すればよい」と言おう。

自分は洗脳などされていないと思い込んでいる人が一番たちが悪い。

 

林郁夫の「オウムと私」

は、実は 

 

オウムと「私」

 

なのだ。

私は逃れていない。

部外者ではない。

当の当事者であり、林郁夫だったかもしれないのだ。

 

それに気づかねばならない。

 

無期懲役の中で、瞑想し、林郁夫は死ぬまでまじめだ。くそがつくくらいに。