私たちが生きている社会は洗脳社会と云っても過言ではありません。

私は最近、オウム真理教関連の本を読んでいます。

オウムだけがカルトなのではなく、社会全体がカルト化しているのが、現実です。

しかし、それは今始まった事ではなく、歴史的にずっとそうだったとも云えます。

 

私は、中学時代は勉強しなくても、クラスで1,2位の成績をとっていました。しかし高校に入って授業について行けなくなりました。大学受験に失敗し、専門学校に入学しました。

その専門学校の建築の勉強が楽しくて、目が醒めました。

 

高校まで自分が洗脳されていたということが分ったのです。

そこで、私は高校に手紙を書きました。しかし、何の反応もありませんでした。

 

洗脳から目覚めることで、私はものすごく健康になりました。

自分で自分の身体の声を聞き、

心的事実を信じることができるようになりました。

 

ひとり暮らしを始めてから、自炊したこと、テレビを見なかったことが、大きな意味を持ちました。

 

子どもを公立の学校に入学させなかったのは、その経緯もあります。

もちろん、理想とするシュタイナー教育に子どもを学ばせたかったこともありますが。

 

私はその意味で目覚めてから、社会を疑い、自分が受けて来た教育を疑い始めました。

 

今、新型コロナウイルスとして、人工的なウイルスを生物兵器としてまき散らしていると、考えているのはそれらの背景からの帰結でもあります。

 

毎日のように感染者数や恐怖を煽る報道を行い、認証されていない、副反応があり、さらにどれほどの副反応が出て来るかの予測もつかないワクチンを、モルモットのように打たせようと誘導しているのも、洗脳です。

 

彼らは超高度管理(監視)型のスマートシティーの檻の中に、人間を誘導したいのです。

恐怖を煽り、その解決策と見せて、誘導していくのです。

これまでも、この洗脳の方式は繰り返されてきました。

 

 

しかし、私はこれまでもそうだったし、これからもしばらくはそうである洗脳社会について、それほど悲観はしていません。

 

洗脳社会もここまで来ると、洗脳してる側が洗脳され、自己中毒に陥っているところがあり、結果的には自滅の道を歩み始めていくと、先が読めます。

 

目覚めている人は、自分も洗脳されているふりをして、回りにうまく合わせながら観察しています。

興味があるからです。この先に起こること、洗脳の先に何があるかということに、興味がわきます。

だから、私はオウム真理教をもう一度眺めてみたいと思うのです。

 

みんな、洗脳されているんだぞ! なんて、声高く叫ぶ必要はありません。

静かに、洗脳されたフリをしながら、成り行きを見ているのです。

 

 

いつか、本当に洗脳されて行き着くところへ行く人と、洗脳されたフリをしながら観察していたひととの間に、はっきりと分かれ目が現れるかもしれません。

 

やあ、やはり君も目覚めていたんだね。

そう言って、次の時代を創り始めるのでしょう。

 

ここまで来たら、行き着くところまで行くしかない。

洗脳したい人間に洗脳させておくしかない。

洗脳された人は、そのまま、その先に行くしかない。

そう、思います。

 

だって、これはゲームなのだから。

それでも目覚めている人は目覚め続けている。

人生が修業の場になっている。