昭和のアーティストといえば?

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平成、令和と二つも年号が変わって、振り返ると、昭和は、ずいぶん過去の時代になってしまったのかもしれません。
私のこども時代、昭和の時代では、明治生まれの祖母がいました。
明治も、大正、昭和と二つの年号が続いたので、古臭いイメージがありました。
 
昭和は戦前と戦後と、戦争が軸になっていた時代です。
私は戦後生まれで、戦争の傷跡もなく、高度経済成長の右肩上がりの時代でした。
 
60年安保、70年安保が起こり、若者たちの怒りに火が着きます。
しかし、制圧され、気力を失って、体制に従う人たちに方向転換してしまいます。
↑国会を取り囲むデモ隊
 
その高度経済成長期には公害問題や冷戦があって、生きる意味などの、悩む世代が増加しました。ビートルズがブームとなり、日本でもたくさんのグループサウンズが生れ、ヒッピーが生れていきます。
LSDなどのドラッグが問題になりました。
 
↑映画 イージーライダー
 
その後平成初期には多くのカルトを生みました。
今ではスピリチュアルと呼ばれる、世界観の回帰現象のようなものと云えるかもしれません。
究極の物質主義がもたらした公害や冷戦の反動で、人間性の回復を願う風潮が生れました。
 
高度経済成長期に、人気のあった田中角栄は日本列島改造論を打ち立て、日本では稀な政治家でした。
しかし、ロッキード事件にはめられ、引きずり降ろされていきます。
その構造はトランプ大統領をメディアが叩いていくことと同じでした。
 
昭和の日常は漫画、サザエさんやちびまる子ちゃんが描いています。
テーブルではなく、ちゃぶ台を家族が囲んでいるような風景が昭和にはあります。
寺内貫太郎一家や、巨人の星では、父親が怒ってちゃぶ台をひっくり返すシーンがデフォルメされています。
毎度、ちゃぶ台がひっくり返されてはたまったものではありません。
 
そこには、家族の姿、その家族の中で占める父親の地位というものが示されているのですが、いわば家長制度の名残がそこにはあって、昭和は、それらが崩れていく時代でした。
 
しかし、当時のテレビは、まさにお茶の間の家族が見ているという前提で、お茶の間に向けて語られているのでした。
 
お茶の間が居間やリビングに変わり、
リビングにはソファー、ダイニングにはテーブルが置かれ、
一家が揃って食事をしなくなり、それぞれの帰宅時間に合わせて、孤食することで、家族の一体感が失われていきました。
母親は専業主婦でなくなり、子どもたちは鍵っ子と呼ばれ、誰も迎え入れてくれない家にカギを開けて入るようになりました。
 
受験戦争と云われる競争社会に巻き込まれ、学校の外に塾で学ばなければついて行けないようになります。
 
子どもたちの環境が忙しく、精神性を育ている時間が奪われ、家族の愛情を十分に受けずに育ち、家族という絆が断ち切られていくと、むしろ、その逆に、イメージだけは家族像が強調された、戸建ての家や、ファミリーカーが生れてきます。
それらの幻想を実現するために、母親も仕事を持つことが、女性の解放であるかのようにイメージが作られていきました。
 
人間社会を孤立化させるという流れは、今ではソーシャルディスタンスやマスクへとさらにエスカレートしていきます。
精神性を育たなくさせ、未熟にさせ、依存させておくことが、支配者たちに都合が良いのです。
それが、今後はスマートシティとなり、コンピュータ管理されていくことになります。
 
これは、古代にアトランティスの人たちが、レムリアの人たちを迫害したことの現代版の再現と云えるものです。
精神世界につながって欲しくないので、ワクチンやフッ素で、第三の目を司る、松果体を石灰化させ、働きを抑圧します。
 
思考停止し、メディアの情報を鵜呑みにしているひとが、実際どれほどいたのかということが、新型コロナによって、明らかになりました。98%以上が思考を停止しているように見えます。
新型コロナに恐怖を感じ、
四六時中マスクをし、
ワクチンが救世主だと信じている人たちに、
何を云っても、話が通じません。
彼らの作戦は見事に成功しているかに見えます。
ほんとうに、そのまま、管理社会、共産主義に向かって行くのでしょうか?