これは不登校の方の体験談

 

必要な方の所に届きますように

 

一冊の文集をご紹介します

 

 

あせらないで、ゆっくりでいいから・・・

~私の体験談からのメッセージ~

 

この文集を作成したきっかけは、

「若者サポート進路を考える会」に参加した

 

不登校体験談の発表者の方から

 

「当日来場される方には、私たちの体験を

伝えることが出来ます。しかし、

なかには来場したくてもできない方も

きっといるはずです。そんな方にこそ、

伝える努力や工夫が必要ではないでしょうか」

 

という力強い提案からでした。

 

彼ら彼女たちが、なぜ、学校に行かないという

選択をしたのか。

どんなことに悩み苦しんでいたのか。

そしてその苦悩と葛藤の日々から

どうやって少しの光を見つけることができたのか。

 

これらのことを

自分自身の言葉で語りかけてくれています。

 

そして皆さん共通して

こんなことを語ってくれています。

 

「今は苦しいけれど、必要な時間であった」と・・・

 

不登校やひきこもったことを

 

決して恥じるのではなく、

 

貴重な体験として、

 

人間として成長していくための財産として

 

振り返っています。

 

 

    ~文集「はじめに」より抜粋~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人ひとりのメッセージが

同じような境遇にある方の

 

勇気と力になれば幸いです

 

 

 

今回この文集に

親の体験談として

振り返る機会をいただきました

 

ご本人の確認を得ておりませんので

経験者の方の文章の掲載は控えさせていただきました

 

 

当事者の方、

悩みを抱える保護者の方へ

大切にこの冊子が届きますことを願って

 

 

以下 親の体験談です

 

 

 

 

大きなお腹

普段はとっても静かなのに時々勢い良く動くのか、

小さなその体は思い切りの力でキックする。

「うっ、イタタッ」今頃大あくびしてるのかな?

私の初めての大切な大切な赤ちゃん。

 

 

 

 

 小学校の通学班、同級生の女の子が5人もいた。

娘の登下校は辛いことが多かった。

自分の子供の頃も経験した。

強い子や弱い立場になる子がいる。

毎日が学びの日々だった。

 

   4の頃、

私が実家の介護や仕事で休めない日々を送っていると「金曜日になると泣くんです」と担任の先生に言われたことがある。優しく面倒見の良い娘。ああして欲しい、こうして欲しいと言わない娘に、一杯一杯だった私は甘えていたね。助けられていたね。

 

中学校に入ってからはスピードや努力を求められる中で、理不尽さや納得出来ないことに苦しんでいた。ある日言われた。「なんでお母さんは友達のお母さんみたいに先生のこと悪く言ってくれないの?」「なんでいつも先生が正しくなるの?」正義や価値観を世間の常識にとらわれすぎていた私。本当は世間の常識を敵にまわしても、お母さんはあなたの味方でいなければいけなかったね。

 

護れなくて、ごめんね…

 

  友達関係、部活の厳しさ、それを乗り越えて強い心に育っていく。辛いけど頑張れって娘を信じているつもりで、世間の強く主張する勝手な正義を信じて、自分の不安という荷物を娘に持たせ続けていたのかもしれない。2年になり部活でこんなことがあった。バレーボール部。先生の話を円陣をくんで聴いていた。他校のボールが飛び込んできてとっさに拾いに行った子は話を聴かなかったとして怒鳴られレギュラーのユニホームを奪われた。外部から指導に来ているコーチは「わざわざ指導に来ているのに塾に行って休むやつがいるのか」と参加している子供に激怒する。

 

  何が正しくて何がいけないのかわからない世界だったと思う。

 

    2の夏、3年が引退すると同時に部活にも学校にも行けなくなった。部活を辞めた。夏休み家でゆっくり過ごした。私も仕事を辞めて親子で工作したりやりたいことがあるときは一緒に楽しんだ。

「お母さん、私もう大丈夫だから、2学期からちゃんと学校に行くよ」8月の終わりのことだった。

 

    いざ始まると辛かったんだろう。別室登校や五月雨登校が続いた。担任から毎日電話が入る。

娘と担任、この頃、私はどちらの話を聴いていたんだろう。担任と二人でなんとかしようと娘をどんどん追い詰めていたのかもしれない。

 

後に娘が言った。「中2の時あのクラスでなかったら、あの先生じゃなかったらこんな風にならなかったかもしれない。」

 

  私自身も街に出るのが辛かった。人に会いたくなかった。どうすればいいのか分からなくて、娘の気持ちも分からなくて、ただ耐えるだけの毎日だった。泣いてばかりの日々だった。

 

  3は優しくお姉さんのような先生。教室にも入り修学旅行も行けた。しばらく休まず学校に行けていたと思ったら夏休み直前からずっと行けなくなった。

 

卒業式は校長室だった。

 

   不登校の世界を認められなかった頃、毎日が苦しくて仕方がなかった。ある日、その世界があること、自分が不登校の親であることを認めたら見える世界が変わってきてた。

 

自分の心配という荷物を子どもに持たせることは止めよう

 

何度も何度も腹をくくった。

 

高校進学は本人も考えていたようで自分で刈谷東と決めていた。それでも家にいるまま勉強は手につかない。不安な毎日。娘はこの先家にいたら所属先が無くなることの新たな不安が原動力になったようだった。

 

過去問をコピーし私も先に勉強し説明できるようにした。娘が過去問を見たのは試験一週間前だった。

 

この頃になると私は、

試験当日行けても行けなくてもいいと思っていた。問題を解いたり動きだそうとしたことだけでもう充分幸せだった。学校に行ってた頃、きっと私はもっともっと沢山のことを望んでいたんだろう。

 

  試験が終わり駐車場で待つ私たちのところに気恥ずかしそうな顔で駆け込んでくる。一歩行動できて良かったね。本当に良かったね。すがすがしい顔を見たら結果はもうどっちでも良かった。

 

先の不安や恐怖はあって当たり前だけど、自分の不安という荷物は自分で持っていれはいいだけ。不安だけど心配だけど、それ以上に本当に大切なことに気づかせてもらえたのかもしれない。そして今この瞬間の娘と自分を大切にすることを教えてもらったのかもしれない。

 

信念や価値観は思い込みだった。

もっと早く自分の思い込みの枠を外していたら

自分も娘も笑って楽に生きられていたのかもしれない。

 

 

価格 100円(+募金程度の協力金をお願いできれば幸いです)

購入先  知多市青少年会館

      知多市若者支援センター

 

 

遠方にて購入困難な方

メッセージいただきましたら対応いたします

 

 

大切な想いがこもった冊子が

必要な方のところに届きますように

 

長文にも関わらず

最後までお読みくださりありがとうございました