名古屋は大須などでもおなじみのパントマイマー山本光洋さんは僕の心の師匠だ。光洋さんはクラウンと呼ぶにふさわしい人格者だ。そう。光洋さんのことを思い出すとき、同時にクラウンって人格を指す言葉なのだよな、ということを思い出す。一方でまた僕の敬愛するパフォーマーの一人、ジャコウネズミのパパは舞踏家だ。舞踏家もまた身体というよりか、矢、それは確かに身体表現のひとつなのだけれど、俳優などに比べてもずっと、その人のパーソナルな部分をかけて舞台に立つ者の謂いだ。それでは人形遣いはどうか。人形には心がない。しかし心がないからこそ、生半可な生身の俳優よりかずっとそこに心をあらわす者が本当の人形遣いだと思っている。クラウンと、舞踏家と人形遣いと。こう並べると、どうにも心がそわそわする。コラボレーションというと響きはいいが、異種格闘技戦ともなれば血を見ずにはおられまい。文字どおり、“魂”の交錯する真剣勝負の瞬間を観たいと思う。
shelf 矢野靖人