阪急今津線 -
今 津。
( 1970年代 頃 )
[ 画:画像検索にて拝借。(御礼。) ]


阪急側のさらに外側(内側?)には、保線区があった。
たぶん、阪神の梅田側へ辿れば、阪急今津線や阪神本線と繋がっていたんだろう。
“各駅停車:宝塚 行”を待っている時、保線の車両を見ながら「あれに乗ってみたいなぁ」なんて、叶わぬ思いを馳せていたもんだった。

まず先に、ご挨拶を。
2023年も、ご愛読下さり、感謝の極みに存じます。
何があったとか振り返ったりはしませんが、今年も“気持ちの貯金”といいましょうか、中身だけでもなるべく若くいくための情報を、たくさん得られた実感があります。
散々いってはいますが、わたしの場合は、色んな意味で“晒し”“暴き”に、かかられやすい人間なんで、とにかく軸をしっかりしていないと、存在感を消されかねません。
たとえ頑固といわれようとも、不本意に飲み込まれるよりは、考え、配慮に欠けることの少ない者を目指していくのは、やめないでいようと思っています。
たぶん、これがわたしなりの“若さの秘訣”なのかな、とさえ。(笑)
なので、もしよろしければ、来年もよろしくお願いいたします。

実家で過ごすこの年末年始は、1.2のお墓参りを除き、わたしだけ数時間の帰宅をしようと思っている。
家トレや、部屋の空気の入れ換え、など。
3日夜に完全帰還した時、なるべく楽に過ごせるようにしたいのもあるしね。

今宵は、年があらたまれば、近所の神社の雰囲気を楽しみにいく。
義理兄の逝去により“喪中”だから、初詣ってわけにはいかないが、2024の幸先よきスタートを切るために、勢いを少しでも頂こうかな、と。
町の神社の元日早朝って、なかなかいいもんやしね。

では、今年最後のネタトーク。
今回は、前口上からの続きを。
今津駅周辺に目をやれば、今津地域なりの娯楽というか、尼崎に少し似たような町並みに囲まれていたイメージがある。
西宮市から映画館が消えたころ、最後の劇場が、今津にあったらしい。
かなり愛されていたんだそうだ。
わたしは、あまり今津地域を歩いたことがない。
強いていえば、阪神バスの尼崎・西宮線の沿線上にあるってことと、西宮東口駅との中間にある『イトマンスイミングスクール』で、溺れながら指導されたこと。
あとは、国道2号線方面に少し歩いた先にあるお医者さんで、インフルエンザ予防の、痛くてたまらない注射を受けたこと。
あ、津門川の景色も印象深いな。
勝手に“枝川”なんて呼んでたんよ。
この川や、甲子園球場辺りに流れていた川を、愛称として“枝川”と呼ぶ方もいたくらいだったしね。
今はだいぶ様変わりはしたものの、さほど雰囲気は変わってないから、郷愁にふけるにいいエリア。
またいつか、行ってみたい。

ひとりひとりの“責任”で、圧力のかかる人が、少しでも和らげられるのを、今日も祈りたい。
いつも、ありがとうございます!

そして、
今年も、みんなお疲れさま。

体重が増えてしまうのはしゃあないにしても、食べ過ぎ注意だけは気持ちを強く、この年越しを過ごしたい。
そんな中でも、おせちだけは楽しみとして。

2024年も、美味しいごはんを食べてぇや!

年明けも、よい時間を過ごされることを、願っている。



From. Chiba-Funabashi city -one's own house 

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