世間はお盆休みだ、9連休だと騒いているようですが、

お盆とは無縁の職場なので、私は今日も仕事でした。ショボーン

 

なのでお墓参りは先週の土曜日に行ってきました。

 

お墓参りの後は、いつも丹波や丹後方面にドライブ車がてら

出かけます。

今年は異常に暑いので、あまり遠くまで行かず

丹波篠山にしました。ニコニコ

 

行くのは王地山稲荷です。

過去2回行っていますが、その時見られなかった

キツネの像を見たかったので。

 

3連休初日の土曜日だというのに、

丹波篠山の町には人がいないです!ガーン

 

まあ、昼間なので暑いこともありますが、

それにしてもほとんど人が歩いていません。

駐車場から古い町並みを少し歩いて王地山へと向かいます。

 

 

以前来たときより整備されてきれいになっています。

日蓮宗の寺院「妙長山本経寺」の摂社。

王地山稲荷(まけきらい稲荷)は、

本経寺の境内に勧請されているご守護神で、

勝負事の神様として古くから親しまれている。

約160年前、負け嫌いの篠山藩主青山忠裕公が、

幕府の老中であった頃、

王地山平左衛門ら8人の力士と行司、頭取の10人が現れて、

大相撲で連戦連勝した。

その後姿を消した力士達の行方を調べると、

全員領内のお稲荷様の名であったという。

 

 

 

大鳥居は3つ

どれも新しいものです。

 

 

手水舎

 

龍の水口

こちらも新しいものです。

 

 

 

稲荷社ではおなじみの赤い鳥居の階段

階段は約二百段ほどありますが、一段一段がとても低く、

上がるのは楽です。

 

 

途中にある平吉稲荷

當山(王地山)第19世日苗上人が餌を求めて境内に出てくる狐を

世話していましたが、亡くなっているのを見つけた時、

頭を寺方丈にむけて亡くなっているのを見て、

「畜生ながら恩を忘れないものよ」と感心し、

これ以来

「稲荷参詣者にしっかり参道を上れるようお守りいたせ!」

と言い、

石段参道なかほどに祠をもうけ、おまつりを致しました。

足・腰が丈夫に暮らせる御利益があります。

 

もう少しで境内に到着です。

 

王地山の上に到着です。

左手にあるのは妙見堂です。

 

 

能勢妙見さんと同じ。(兵庫県川西市、大阪府豊能郡豊能町)

當山第15世日現上人代に勧請されました。

第22世日遵上人代に老朽化した御堂を再建され、

今日に至っています。

お姿は甲冑を身にまとい右手を受け太刀に構え、

左手を金剛不動印に結んで岩上に坐したお姿で武人の姿であります。

北斗を神格化したもので星の中の最尊とされています。

海上安全・開運隆昌の御利益あり。

人生諸事の先行きを開いてくれます。

武運にも優れ、左脇には加藤清正の清正公大神祇がまつられ、

右脇には芸能上達の弁財天さまもまつられています。

(HPより)

 

 

 

そこから少し上がった所に本堂(本殿)があります。

 

 

 

こちらがまけきらい稲荷の本殿・中殿・拝殿です。

旧稲荷殿は現在の拝殿(前の部分)のみで瓦葺、

後ろにずらりと小さな眷属末社がありました。 

昭和三十年に中殿・本殿が新建立され、

本殿は桧皮葺きで優雅なものであった。 

桧皮葺きが老朽化し、當山第二十二世日遵上人代に

老朽化した桧皮葺きの上に銅板を葺き、

眷属末社も境内に新建立され現在に至っている。

 

すらりとしたお狐様

 

 

 

 

 

 

まけきらい平左衛門稲荷社

ここに見たかったきつねの像があります。

 

 

 

すもうを取っている姿で俵を持っています。

 

後ろの社殿の基礎部分は土俵を表しています。

 

 

 

 

後ろにはしっぽもちゃんとあります。

 

このキツネ像にまつわる謂れは

 

文政3年(1820)篠山藩主青山忠裕が幕府の老中をつとめていたころ、

毎年、春と秋に江戸領国の回向院広場で大相撲が催されていました。
ある年の春場所のことです。篠山藩の力士は負けてばかりいました。

負けずぎらいの忠裕は、毎日ふきげんでした。

ところが六日目になって、変な格好をした田舎者があらわれ、
「殿、ごきげんうるわしく存じます。

これなるは、丹波の国、青山家領分の宮相撲取りでございます。

大地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、

黒田山兵衛、曽地山左近、小田中清五郎、

須知山道観、頼尊又史郎と申す者どもでございます。

ぜひ、相撲を取らせていただきたい。」
と、いって、八人の力士があらわれました。

特別に殿のお許しが出たので、しぶしぶとらせましたが、

どうしたことか全員が勝ち星をあげました。ご機嫌になった忠裕は、
「これはふしぎじゃ。その者をすぐこれへ呼べ。」
家来どもがさがしましたが、さっきの力士はどこにもいません。

あとでしらべさせたら、丹波にはそんな力士はいないが、

その名前がみな青山家領分のお稲荷さんが、

祀られている地名ということがわかり、
「さては、お殿さまをよろこばせようと、

お稲荷さんたちが化身のきつねを江戸へ遣わされたのだろう。」
と、いうことになって、忠裕はそれぞれの稲荷神社へ

感謝のまごころをこめたのぼりや絵馬を

奉納されたということです。

 

その通り、この八つの地名の場所に「まけきらい稲荷」が

それぞれあります。

今回本当はその中のあと2社を周るつもりでしたが、

暑すぎてやめました。

ちなみに、他の稲荷社にはこのようなキツネ像はありません。

 

 

 

常富天王社

 

京都洛北の常照寺は江戸時代には

日蓮宗の僧侶の学校である鷹峰檀林がありました。

亨保年間のこと、学寮に智湧(ちゆう)という

年老いた学僧がおりましたが、

当時山内にしばしば奇瑞(きずい)

(不思議な出来事)がおこり噂となり、

日頃から何かと常任と異なる智湧をいぶかった、

学頭の空妙院日善上人がある夜その部屋を覗いたところ、

一匹の白狐が一心に勉強していました。

すがたを見られた白狐はやむなく檀林を去り

摂津の国、能勢妙見山に登って常富惣五郎と自称し

修行を重ねられた。(HPより)

 

 

峰泰天王(左)と最正位 三光天王(右)

 

本殿の右横に松尾芭蕉の句碑があります。

 

 

 

「しばらくは花の上なる月夜かな」

 

ここにも古い手水鉢がありました。

これは味がありますね~。

 

水口はうさぎです。

 

上から丹波篠山の町を見下ろすことができます。

 

 

もっと涼しい時に来て、他の七社も回ってみたいですね。

 

実は、10年以上前に2回ここに来ていましたが、

このきつねの像はありませんでした。

以前は境内の下の別の場所にあったそうですが、

ここ数年の間にここへ移されたようです。

 

 

ご朱印は書置きでした。

※書いている説明文は、HPよりお借りしました。