田村神社の隣に四国八十八ヶ所第八十三番札所の

一宮寺があります。

 

ここは行く予定ではなかったのですが、時間が少しあったので

行ってみました。

四国八十八ヶ所巡礼は、まだ徳島を出てさえいません。汗うさぎ

八十三番札所なんて先の先です。

今回は四国遍路ではないので、納経帳も持ってきていませんでした。

なので、あえてご朱印は頂きませんでした。

 

田村神社の総門を出てすぐ右手の細い道沿いにあります。

一宮寺は、大宝年間(701-703)に法相宗の祖、

義淵僧正が開いたと伝えられています。

当初は大宝院と称していましたが、和銅年間(708-715)に

諸国に一宮が建立された時、

讃岐一宮として田村神社が建立され、

その第一別当寺(統括管理職)となりました。

その後、行基菩薩が堂塔を修復し、

一宮寺に改めたとされています。

 

 

大同年間(806-810)には弘法大師さまが

四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて

聖観音菩薩を彫刻して設置しました。

その尊像を本尊として安置し、

四国第八十三番の霊場として真言宗に改めました。

その後、次第に兵乱が起こり、

あちこちの寺院が多く滅亡しました。

一宮寺も兵火により灰燼に帰しましたが、

中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。

江戸時代には、高松藩主により田村神社の別当を解かれました。

神仏分離より200年も前の出来事です。

(HPより)

 

屋根瓦葺きの表門。

両脇の仁王尊立像は京都の仏師・赤尾右京の作です。

大わらじが奉納されています。

わらじには旅の道中安全を祈願する意味があります。

 

実はわらじが大きすぎて、奥にある仁王像が見えなかったんです。泣くうさぎ

後で写真を見て気が付きました。

 

 

鐘楼堂

 

地蔵尊

 

本堂

古刹としての風格がある本堂は十方施主により再建されました。

弘法大師さまの作といわれる聖観音菩薩があります。

 

 

大師堂

 

一宮御陵

三基の宝塔で孝霊天皇(こうれいてんのう)

百襲姫命(ももそひめのみこと)

五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)の供養塔ともいわれています。

 

菩薩堂

 

 

 

 

 

実はこの楠の向こうに見える石のお堂は、

薬師如来が祀られている

地獄の釜と言われている祠で、

一宮寺の有名な謂れがあるそうです。

 

昔むかし、このお寺の近くに、
意地悪で病気がちなおばあさんが住んでいました。
ある日近所の人から「このお寺には地獄の釜の
煮えたぎる音が聞こえる祠があって、

悪いことばかりしている人が
頭を入れると抜けなくなる」という話を聞きました。
そこで、おばあさんは「そんなことはないだろう」と
ためしに頭を入れてみたのです。

するとたちまちとびらが閉まり、
下のほうからゴォーーッという地獄の音が聞こえてきました。
おばあさんはあわてて頭を抜こうとしましたが、どんなに力をこめても抜けません。

とうとう怖くなり「今までのことは許してください。
もう意地悪はしません」と涙ながらに何度も頼むと、
とびらは開き、頭がすっと抜けました。

それからというもの、心を入れ替えたおばあさん。
体もすっかり元気になり、近所の人とも仲良く
暮らしたということです。

 

写真をアップにしてみました。

 

後で分かったので、近くに行かなかったのです。

残念!

本当はもう少しゆっくり参拝したかったのですが、

友達がトイレに行きたいと言い出して、

慌てて田村神社へ戻ろうとし出したので、

駆け足で写真だけ撮って回りました。

 

また、四国遍路の時に来るので

その時は、じっくりと見てみたいと思います。

 

先を急ぐ友達

 

一宮寺の大師堂で鯛のおみくじを買いました。

小吉だったのですが、書いてある内容が

大吉でもこんないいのはめったにないと思うほど

良い内容でした。

願いが何でも叶って思いのままのような感じでした。

大吉でなくても良かったです~。