大和十三仏霊場巡りは続きます。

 

今回は、矢田寺へ行きました。

あじさいの寺としても有名で、ちょっと早いかな?と思ったのですが、

お休みを取っていたので行きました。

たくさん写真を撮ってきたので、何回かに分けて

記事にしていきたいと思います。

 

シーズン中なので、バスはお寺からかなり離れた所で

降ろされました。

正面に見える山に矢田寺があります。

「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺

(矢田山・金剛山寺)は、 城下町・郡山より西へ3.5キロ、

矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 

日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。(HPより)

その為、周辺や境内にはたくさんのお地蔵様や石仏があります。

 

 

警備員さんが荷物を置いている道端に道標がありました。

ちゃんと写真を撮りたかったけど、色々置いてあって

撮れませんでした。

「三丁・・」と読めるので、丁石かな?

 

 

 

参道の坂道の途中に早速石仏がありました。

 

山門に到着です。

 

 

アジサイのシーズンだけは拝観料が700円と高くなります。

 

ここからがずっと階段です。結構大変ですよ。

 

 

でも、私は石仏を見ながら上がっていくので、

全然苦になりません。

 

 

 

ここにはお相撲さんなど有名人のお墓が並んでいます。

手前の「鈴鹿山新七」は鈴鹿山というおすもうさんだということです。

聞いたことないなぁ~と思って見ると、

鈴鹿山新七(天保十二年二月六日建 門弟中)と書いてあります。

天保時代のお相撲さんなので、知らなくて当然です。💦

 

 

 

このお地蔵様は、見送り地蔵という名前がついています。

室町時代後期(1515年)の年が刻まれています。

矢田寺の満米上人が閻魔大王に戒律を授けて地獄から帰ったあと、

地蔵菩薩を刻むのに苦労していた時、春日四社明神の化身の

四人が翁が地蔵菩薩を彫って去った時の翁を見送る姿を

刻んだものと言われています。

それで見送り地蔵という名前になっているそうです。

 

ここからは絶景がみられます。

 

 

さらに階段を上がると、ようやく境内に到着です。

 

 

この参道の右側にあるのが大門坊です。

大門坊(だいもんぼう)は、矢田寺の塔頭のひとつであり、

 弘法大師が25歳の時に矢田山に登られ、不動明王を図写して、 

国家安穏、万民豊楽の誓願をたてて留錫され、 

「三大秘密教門院」と命名された寺院です。
境内には、当山の中興・行海満空上人の供養塔(享保元年)があります。
持仏堂である千佛堂は、昭和55年に建立され、

 全国各地より奉納された一千体の地蔵尊を安置しています。

(HPより)

 

 

手水鉢

時代を感じさせますね。

 

摩尼殿

 

門を入ってすぐ右手の塀の所に北向地蔵がありました。

 

願い事を1つ叶えてくれるお地蔵様です。

 

 

この大門坊での石仏で有名なものは、こちらです。

 

山門の西側に立つ石仏、十三仏像には「光秀」の刻字があり、 

豊臣秀吉の弟・豊臣秀長の後室である奈良・興福院の二世・

光秀尼が 秀長の供養のために造立したものと推定され、

大和郡山市の指定文化財です。

 

 

 

 

大門坊を出てすぐ先に歓喜天をお祀りしている聖天堂があります。

 矢田聖天と呼ばれるこの聖天堂には、江戸時代中期の高僧、

慈雲尊者(1718~1804)により、 宝暦年間に勧請されたと

伝えられる大聖歓喜天(聖天さま)をはじめ、

諸尊が安置されています。

 

 

聖天堂の向かいには念佛院があります。

 

まっすぐ進むと本堂です。

 

つづく