三光神社から徒歩で2分ほど。

 

摂津八十八ヶ所第十一番札所の善福寺があります。

 

 

高野山岩本院法資法運が、「大阪夏の陣」の戦死者の霊を弔うために

開創されたと伝わる。

 創建当初は「鏡如庵大師堂」と称し、浪速大師巡り

(摂津八十八ヶ所巡りの前身で13ヶ所程度を巡る)の道順にあり、

特に21日の弘法大師の縁日には大変な賑わいだったと伝えられる。

(HPより)

 

 

どんどろ大師と書かれています。

その謂れは、
1834年(天保5年)土井利位が大阪城代として赴任、

この近くに居を構え、当庵の弘法大師に深く帰依され、

以来「土井殿のお大師様」と呼ばるようになり、

それが転訛し「どんどろ大師」となったということだそうです。

 

 

門前に「お弓 おつる」の銅像があります。

これは、傾城阿波の鳴門(人形浄瑠璃・文楽)の

「父様の名は、阿波の十郎兵衛、母様の名はお弓と申します。」と

多くの人がご存じの名場面で、

その傾城阿波の鳴門の中に「どんどろ大師の場」があるそうです。

 

 

境内は狭く、ここも戦争で建物は新しくなっています。

本堂は2階にあります。

 

 

 

 

ご本尊は弘法大師です。

 

 

境内は狭いのですが、色々とぎっしり詰まっているお寺です。

 

 

 

 

 

この辺りには古い石仏が集められています。

 

 

 

 

石仏の奥には、大師堂

 

奥の墓地の手前に大きな勝軍地蔵尊があります。

日露戦争時の戦病死者慰霊のために、明治40年(1907)に建てられました。

今は勝負運や開運、立身出世などの願い事をかなえてくれる地蔵尊としても

信奉を集めているそうです。

 

 

 

 

ご朱印です。