今日は京都で地震があり、地元でも結構揺れました。

震度4もあったそうですね。

地元はそこまではなかったのですが、上層階にいたので揺れが

強く感じたのかもしれません。

 

さて、法隆寺の続きです。

西院伽藍の中に入ります。

 

まず、五重塔が目に入ってきました。

日本最古の五重塔で国宝です。

 

 

お釈迦様の遺骨(舎利)を安置し、その中心には心柱が通り、

その下には舎利を納めた礎石があります。

この塔は、上になるほど幅が狭くなり、五重目は初重の半分の幅で

安定感がありバランスが取れた美しい姿になっています。

初重には、お釈迦様の入滅場面を現した塑像があります。

 

 

軒をささえる天邪鬼

 

 

ガイドさんによると、1つだけ変わったものがあるとのこと。

それがこちらです。

 

天邪鬼ではなく象のように鼻の長い動物になっています。

 

 

こちらだと分かりやすいですね。

 

龍が巻き付いている柱もありますが、こちらは最初から

あったわけではなく、修復の過程で後世の時代に

強度を補強するために柱をつけ、柱だけでは味気ないので

龍を巻き付けたということでした。

 

金堂と五重塔

 

金堂は、西院伽藍の最古の建物でこちらも国宝です。

飛鳥様式の特徴を残す世界最古の木造建築です。

内部には、3組のご本尊が安置され、四方の壁には復元壁画が描かれています。

金堂の内部は、実は昭和24(1949)年1月26日、修復中に壁画を写していた人が

ヒーター(敷物)を消し忘れて退出し、そこから出火して、

国宝の十二面壁画の大半が焼損したそうです。

仏像は、壁画修復にあたって外に出されていたため、無事だったようです。

 

 

そのことで、文化財を守る必要があると

当時の国家消防庁長官(現総務省消防庁長官)が

全国に通達を出し、この日を「文化財防火デー」に指定したそうです。

今は、その壁画は法隆寺の収蔵庫に保管されていますが、

最近は人数と日数を限定して公開されているようで、

近々一般公開があると言われているそうです。

 

 

大講堂

法隆寺最大の建物で、堂内には薬師三尊像が安置されています。

こちらももちろん国宝です。

こちらは、飛鳥時代ではなく、延長3年(925年)年に落雷によって

元の建物が焼失したため、正暦元年(990年)に再建されたものです。

 

 

大講堂の前には、立派な青銅の灯篭があります。

こちらは、桂昌院灯篭という名前がついています。

その名の通り、五代将軍綱吉の母桂昌院が

元禄7年(1694)の法隆寺の大修理の際に、多額の寄進をしたそうで、

そのお礼に灯篭を立てることになったそうです。

 

どの建物も中に入って拝観することができますが、

当然ながら、内部の写真撮影は禁止されています。

 

経蔵

あまり紹介がない建物ですが、実はこちらも飛鳥時代から奈良時代に

建てられたもので、国宝です。

 

 

こちらは鐘楼

平安時代の建物で、こちらも国宝です。

梵鐘は天平時代のものです。

 

これらの建物がぐるっと回廊でつながっています。

 

 

回廊の柱もエンタシススタイルです。

 

 

逆光で建物が暗いですが、金堂、奥が中門、右が五重塔です。

中央にあるのが、桂昌院灯篭で、私の立っている後ろに大講堂があります。

 

大講堂

 

 

 

ここから西院伽藍を出ます。

 

池と手水舎があります。

池は鏡池で、正岡子規がこのほとりにあった茶店で休憩しているときに

「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」と句を詠んだ場所です。

 

句碑

 

 

ここの手水舎の龍もおもしろい形です。

 

 

 

 

壺に龍の首がついていますね。

ちなみにこの龍の口から出ている水は地下水を

くみ上げたもので、口はすすが無い方が良いとのことでした。

 

東室(ひがしむろ)

僧が生活をする僧房です。今は僧房としては使われていません。

こちらでご朱印をいただけます。

ご朱印は最後にご紹介します。

 

 

法隆寺は広いですので、まだ続きます。

3につづく