本堂(金堂)の前には、堂前灯籠というものがありました。

 

 

この灯篭の台座の下に、天智天皇の左薬指(無名指)が埋められていると

書かれています。

別名「無名指灯篭」と呼ばれているそうです。

 

 

 

三井寺の名前の由来になった閼加井屋

天智、天武、持統天皇の三天皇が産湯に用いられたという泉が湧く。

泉を護る覆屋は慶長5年(1600年)の建立。

正面上部にある左甚五郎の龍の彫刻が有名。

あ、龍の彫刻の写真を撮り忘れてしまいました。💦

 

 

中をのぞいてみると

 

ちゃんと今も水が湧き出ています。

 

 

 

 

裏手の山の方へ上がって行きます。

 

お堂があり、「弁慶の引摺り鐘」と書かれています。

 

 

このお堂、裏側が正面のようです。

霊鐘堂とありました。

 

 

中には弁慶が引き摺ったと言われている鐘があります。

 

 

ムカデ退治で有名な俵藤太秀郷が、竜宮城からもらった鐘を
三井寺に寄進したのですが、比叡山との争いで、
弁慶がこの鐘を引き摺って比叡山に持って行こうとすると、
「いの~いの~」(関西弁で帰ろう帰ろう)と響いたので
弁慶が「そんなに三井寺に帰りたいか?!」と怒って
谷底に投げ捨てた鐘だと言われています。

引き摺った跡や、傷が残っているということです。

 

どうなんでしょう?

 

隣には、割れた大きな鍋も

 

弁慶の汁鍋

 

 

霊鐘堂を出て、一切経堂(重要文化財)へ。

中に入れます。

 

室町初期の建立で、慶長七年(1602年)戦国大名毛利輝元によって、

山口県の国清寺より移築、寄進されたものです。

 

 

 

堂内には、一切経を納める回転式の八角輪藏があります。

 

 

 

回すことはできません。

 

一切経堂の先には、三重塔が見えています。

 

 

こちらは慶長6年(1601年)に徳川家康によって

寄進されたものです。

 

 

 

 

唐院唐門

 

 

 

 

左側は、灌頂堂

 

 

長日護摩堂 奥のお堂は大師堂です。

 

 

 

唐門を下って、観音堂を目指します。

 

 

 

村雲橋

 

 

 

 

 

 

 

 

微妙寺

三井寺の五ヶ所のひとつで現地に移築したもの。

本尊は十一面観音菩薩(重要文化財・平安時代初期)のもので、

現在は、湖国十一面観音霊場の第一番札所になっています。

 

 

 

 

 

御朱印を頂きました。

湖国十一面観音霊場もまわってみようかな?

 

 

 

この微妙寺の向かい側に文化財収蔵庫があり、中を見学しました。

写真撮らず。

疲れて足が攣って来ました。

 

ここで茶店を発見!休憩することにしました。

 

つづく