地上の楽園
ワンネス意識と自我意識の統合が
進み、
霊性(高次元の自分)を思い出し
さらに統合すると、
あなたの内面を反映した
「地上の楽園」
が
現実世界に
現れてくるようになります。
※ただしくは、
「地上の楽園」を
現実世界で観測するようになる。
これは、
あなたの
「内面から出てくるものです。」
現実世界が
ある日突然
パラダイスになるという意味ではありません。
今、
ここ
この瞬間に
今までと同じ
日常の中に
あなたの
神聖さ、
あなたの
静寂、
あなたの
深淵なる世界を
見出すことが
できるようになります。
あくまで
わたしの感覚ですが、
初めてワンネス(愛)を感じる体験、
「至高体験」のときは、
気持ちが高揚したり、
愛や幸福、
至福の気持ちを感じると思います。
※人それぞれなので、
至福感ではない場合もあります。
一方、
こちらは
「静寂」
という感覚が
強いと思います。
例えるならば、
神聖な神殿に入った時の
厳かな気持ち。
わたしは
キリスト教の学校に
行っていた関係で
様々な教会に訪れましたが、
どの教会も、
教会の内部、
特に礼拝堂は
温度が少し下がるような、
透明になるような、
深い静寂がありました。
アニメ作品で
例えるならば
ジブリ作品
「もののけ姫」の
シシ神が
住んでいる
森の中心部の雰囲気
みたいな
感じです。
そういった雰囲気や
風景を
日常の
何気ないときに
よく
感じるように
なります。
わたしは
ファンタジーの世界が好きなので、
まるで
妖精がいるのではないだろうか
と
感じるような、
美しい花々が
ひっそりと
咲いているような、
しんと静まり返っている
池があるような
そんな
雰囲気を感じます。
「地上の楽園」
という言葉は
先日紹介した
スピリチュアルな書籍
こちらの中でも
似たような記載があります。
-----------
ライトボディ第11レベルにおいて、
あなたは地上の天国というヴィジョンを具体化し、
あなたのスピリットの至福の喜びを表現するのです。
-----------
地上の天国!
まさに
その通りです。
わたしの中では、
「日常の中に」というのが
キーワードだと思っています。
物理的に
天国のような場所
が現象化することも
ありますが、
「ありふれた日常の
ちょっとした
瞬間」
という表現がとても
合います。
たとえ、
わたしと
同じ景色を
見ていたとしても、
その方の
思考の次元
(考え方)が
わたしと違えば、
全然違う景色になります。
例えば、
先日わたしは
こどもの幼稚園の
遠足に行きました。
遠足で行く公園は
以前に行ったことがあったのですが、
とても静寂で、
空気が澄んでいて
大好きな雰囲気だったのです。
当日
わたしは、
以前は咲いていなかった
菖蒲田が
満開になっているのを観て、
とても感動いたしました。
美しい菖蒲田と、
静寂の雰囲気。
清浄な空気感。
「美しい」
「まさに
ここでも地上の楽園を
観測できた
(じんわり幸せ)」
と、、
思っていた方は
わたしのほか
あまり見当たりませんでした
人によっては、
「芝生もないから
座ってお弁当食べる時に
硬くて居心地が
悪いし、
蚊も多くて
全然良くない」
と感じる方もいるでしょう。
同じものを見ていても、
まったく
感じ方が違います。
その日は
当たり前のように晴れだったし、
タイミングよく
菖蒲田は満開。
(他のクラスの日は雨で延期)
わたしは
そこにも
奇跡を感じるのです。
毎日が
このような
奇跡のような世界を
観測している。
ただ感じているのです。
「覚醒」とか、
「悟り」とか、
「目覚め」とか、
「潜在意識の達人になる」とか、
すごく
かっこいい響きだけど、
外側の世界が変わるのではない。
ただ、
自分自身が変わるだけ。
どれだけ
意識が拡大しても、
次元や周波数を上げたとしても、
「なるほど。」
「結局、自分の
感じ方、
考え方、
物事の捉え方、
つまりは
意識が変わるだけなのだ」
と気付くことでしょう。
でもそれが
なかなかできなくて
悩んでいる人が確かにいる。
できない時期が
確かにある。
わたしは
覚醒しても
「特別な存在になるわけじゃない」
と言っていますが、
今回は
「意識」を変えることの
大切さ、貴重さ、尊さを
伝えたく、
あえて、
それができることが
「特別である」と言いたいです。
あなたの
心の中にある
深淵なる聖なる世界を
現実世界に投影し、
観測してください。
それが
あなたの
魂の喜び
永遠に続く
静かなる
至福の
表現なのです。
最近は
バラ園に行きました。
ちょうど見頃で嬉しい
ここでも
地上の楽園
写真撮るのが下手すぎるけど
美しかった
薔薇の甘い香りも
強くて
天国にいるよう
※一枚目だけ人写っちゃってたので色調調整してます