トライアスリートへの道

トライアスリートへの道

夢みる自由人のトライアスロン挑戦の夢を綴った日記

トライアスロンに憧れ、夢の実現に向け決意、スタートするもすんなりとは行かなかった。

行く先に立ちはだかる障害、そして失意・・・・・・。

思うようにならない自分の体に何度も諦めそうになりながらも自分のやり方を信じ続けた。

そして、やっと実現した初挑戦のデビュー戦。

ゴールの瞬間、忘れる事の出来ない感動が待っていた。

 

 

全日本トライアスロン皆生大会まで

一週間。

 

 

昨日の土曜日は出勤のため、

トレーニングは休みにし、

 

日曜の今日、スイム&バイクの

トレーニングを計画した。

 

 

 

一週間前だから追い込むような

きついトレーニングは出来ない。

 

 

しかし、今シーズンに入ってから

トライアスロン用の練習は不十分だった。

 

 

なにせ、ウエットスーツ着用での

海のスイムは一度しかなかった。

 

 

6月初旬の奥武蔵ロングトレイルまでは、

トレイルの練習が中心だったことと、

 

6月中旬以降の週末が天候不順により、

海で泳げなかったことによる。

 

 

そして、大会2週間前の先週末は

これも天候不順で

バイク練習も出来なかった。

 

 

そんなことから今日は何としても

ウエット着用でのスイムと、

 

長い坂のコースでのバイク練習を

やっておきたかった。

 

 

 

幸い今日は灼熱の皆生を彷彿とさせる

真夏日だった。

 

 

風が熱風のようで

皆生大会用のトレーニングには

もってこいの天候だった。

 

 

朝9時過ぎに浜当目に到着。

 

 

知人のトライアスリートと偶然会い、

しばらく会話を交わしてから

ウエットスーツを着用した。

 

 

風と波がけっこう強い中、

スイムは2kmで終了。

 

 

 

一度帰宅して昼食後に

バイク練習に出掛けるつもりだった。

 

 

ところが前輪のパンクが発覚。

 

 

パンクの場所を特定してから、

近くのバイクショップに修理に出掛けるが、

あいにく何故か16時まで閉店だった。

 

 

藤枝のMACSまで行く時間もなく、

仕方なく自宅で予備のチューブと

交換作業を行った。

 

 

チューブのサイズが合わずに悪戦苦闘も

何とか納めて出発。

 

 

すでに14時を回っており、

気温も最高に暑い時間帯。

 

 

熱風の中、

予定していたコースに向かった。

 

 

 

もっともきつい坂を2往復考えていたが、

時間もないため1往復で断念し、

結局バイクは70kmで終了。

 

 

懸念された膝蓋靭帯炎の痛みは、

やはり出たがわずかな痛み。

 

 

しかし、皆生のバイクは140kmで

しかもアップダウンの激しいコース。

 

 

どこまで膝が耐えてくれるかが

鍵となるだろう。

 

 

それでも大会一週間前の今日、

やれることはやった。

 

 

後は、調整しながら

疲れを抜いて行く。

 

 

全日本トライアスロン皆生大会

2週間前の週末。

 

 

まとまった練習は、

2週間前のこのタイミングしかない。

 

 

本当は海で泳ぎたかったが、

昨日の豪雨で海の状態は良くない。

 

 

そこで選択したのは大洲のプール。

 

 

 

 

大洲プールは何年かぶりだったが、

それなりの練習が出来たのは収穫だった。

 

 

 

昼食後は、ラン約10kmで終了。

 

 

ロングのレース対策としては、

練習量は足りないのかもしれない。

 

 

しかし、今の自分にはこの位が

ちょうど良いような気がする。

 

 

明日は、バイク&ランの予定だが、

天候次第ではまたも大洲プールか。

 

全日本トライアスロン皆生大会

3週間前の週末。

 

 

明日の日曜は雨模様の為、

ミドルBikeとロード&トレイルRun

のトレーニングを行った。

 

 

 

今日の課題は、

バイクでの脚の使い方。

 

 

先週の膝蓋靭帯炎の痛みを

いかに回避することが出来るか?

 

 

長い坂を取り入れた66kmライド

にチャレンジしたが、

今日は意外と痛みが出なかった。

 

 

強い踏み込みを控えた回転重視で

大腿四頭筋の負荷を減らしたことが

功を奏したかもしれない。

 

 

 

昼食の後は、ランに出掛けた。

 

 

ロード&トレイルで約11km。

 

 

トレイルは大津野田城がある城山で

初のコースだったが、

トレイルの練習には短すぎる。

 

 

 

 

しかし、ロードに変化を加えるには

ちょうど良いのかもしれない。

 

 

 

今日はシーダーズ有志で

普通救命講習を受講した。

 

 

 

 

場所は、焼津市消防署。

 

 

一次救命処置としての

心肺蘇生とAEDの使用法を

実体験で学んだが、

 

心肺蘇生の胸骨圧迫は、

思いの外、大変な試技だった。

 

 

 

 

実際に心肺停止の人間を

目の当たりにした時、

冷静に対処できるだろうか。

 

 

初めてAED使用法を学んだが、

体験しておいて本当に良かった。

 

 

使うことのない方が良いのだが、

いつか役に立つ日が来れば、

この日の講習が大きな意味を成す。

 

 

 

奥武蔵ロングトレイル105Kから

6日が経った休日。

 

 

身体の状態を確認するためと

トライアスロンモードに切り替えるため、

浜当目に出掛けた。

 

 

まずは、スイムを1km。

 

続いて、バイクを36.8km。

 

最後に、ランを6km。

 

 

思ったよりも身体は動いた。

 

 

少し疲れを感じたが、

意外な回復ぶりに手ごたえを得た。

 

 

しかし、問題はバイク。

 

 

40kmにも満たない今日のライドで

また膝蓋靭帯炎の痛みが出た。

 

 

これからのバイク練習で

どこまで改善できるか?

 

 

1か月後に開催される

全日本トライアスロン皆生大会。

 

 

バイク140kmを

どう乗り越えるかが鍵となる。

 

スタート(0km) 飯能中央公園

 

2024.6.8.午前6時10分、

初挑戦の奥武蔵ロングトレイル105K

スタートした。

 

 

 

 

最後尾からのスタートを決めていたが、

同じ考えの選手が動こうとしない。

 

 

仕方なく自分が先行して、

最後尾から2番目でゲートを通過した。

 

 

 

 

最後尾から一人ずつ前の選手を

捕らえていく作戦だったが、

 

後になって思えば、

全く意味がないことだった。

 

 

 

WA1(9km) 東峠

 
ウオーターエイド手前から
テレビ埼玉インタビュアーを担当した
Oちゃんからインタビューを受けながら
しばらく並走する。
 
 
刺激が入りペースが上がった。
 
 
 
 
 

A1(17km) 子ノ権現

 
 
 
ようやく最初のエイドステーション。
 
 
きゅうり、トマト、バナナ、饅頭と
ひと通りいただいた。
 
 
食欲は湧かなかったが、
食べれるときに食べておかないと
後で何が起こるかわからない。
 
 
給水をとり、
トイレを済ませてからスタート。
 
 
トイレ内で反応が無く、
籠りきりの選手がいたが、
大丈夫だったのだろうか?
 
 
 
 
足場が悪く、途中で転倒し、
膝と手のひらから出血。
 
 
序盤から早々にケガをしてしまった。
 
 
より慎重に進めていくと、
19km辺りで思わぬサプライズ。
 
 
コースを逆走してきたO石さんから
応援の激励を受ける。
 
 
 
 
24km地点で初のコースアウトも
第2エイドまでは、
順調に順位を上げて行った。
 
 
 
 

A2(27km) 原市場

 
かなり気温が上がり、
きつくなってきたところで
何とか第2エイドに到着。
 
 
ここでは、
鹿肉うどん、あんパン、クリームパン、
バナナをいただいた。
 
 
鹿肉うどんはお代わりし、
しっかり2杯を食べた。
 
 
暑さで食欲が無くても
食べられるのが自分の強み。
 
 
しかし、
ここから身体がきつくなり、
順位を下げていく。
 
 
途中の登りでバランスを崩し、
踏ん張れずに後ろに転倒。
 
 
2回転ほど転がったところで
後続の選手に受け止めてもらい
何とか大事に至らず。
 
 
しかし、先行きに不安を抱え
さらにペースが落ちていった。
 
 
軽い貧血症状もあって
ふらつきが頻繁に起こり、
危険な状態が続いた。
 
 

A3(41km) ノーラ名栗

 
足取りが重い中でも
何とか第3エイドに到着。
 
 
第2エイドまでの貯金が減り、
関門時刻まで1時間を切っていた。
 
 
後続選手に抜かれまくったことと
度重なる転倒、ふらつき、疲労の蓄積で
モチベーションは最低だった。
 
 
そこで追い打ちをかけたのが、
先に到着していた選手たちが
続々とリタイア宣言していたことだ。
 
 
自分より速く、しかも若い選手達が
リタイヤを決め込む程きついのか?
 
 
スタッフもここからが正念場と
激励していたが、
 
自分には不安を煽り立てている
ようにしか聞こえなかった。
 
 
蒸かしたじゃがいもは喉に詰まり、
饅頭やバナナも美味しく感じない。
 
 
これはヤバい・・・
そう思うとリタイアが頭に浮かんだ。
 
 
これまでどんな大会だって
自分からリタイアを考えたことは
一度もなかった。
 
 
こんなことは初めてだった。
 
 
ここまで自分を弱気にさせたのは、
決して転倒による負傷や疲労から
だけではなかった。
 
 
これまでの転倒の多さから、
 
ここから最大の難関である激坂を
暗闇の中18km登って行くのが、
 
転倒による生命の危険を
最大級に感じていたからだった。
 
 
無事で済まないかもしれない・・・
 
そんな危機感を感じていた。
 
 
それでも先に進む選択をした。
 
 
どんなに辛くても、危険でも、
はっきり分かっていることがある。
 
 
それは、
ここでリタイアすれば100%後悔する
ということだった。
 
 
それは死んでも嫌だった。
 
 
後悔だけはしたくない、、、
 
それだけが自分を動かす
原動力になっていた。
 
 
 
「行きますか?」
 
スタッフの言葉に力無くも、
 
「はい。行きます。」
 
と答えた。
 
 
「お守りに持って行って下さい。」
 
と塩サプリを大量に
手渡そうとするスタッフ。
 
 
「2つだけいただきます。」
 
とポケットに詰め込んだ。
 
 
 
リタイアを決めバス停に集結する
選手たちを横目に
最大の難関に挑むべく歩みを進めた。
 
 
しかし、スタートして早々に
小さなコースアウト。
 
 
完全に集中力が鈍っていた。
 
 
 
自分の後ろから登ってくる選手は
全く見えなかった。
 
 
最後尾だと思うと心細く、
引き返すなら早い方が良いと
悪魔の囁きが聞こえてくる。
 
 
しばらくすると
上から選手が降りてきた。
 
 
「どうしました?」
 
声を掛けると、
 
「気持ち悪くなってしまって、
もう無理なので戻ります。」
 
との返答。
 
 
「大丈夫ですか?」
 
「はい。頑張ってください。」
 
 
そんなちょっとしたやりとりも
不安を搔き立てた。
 
 
 
不安を打ち消すように
黙々と登り続けていた。
 
 
マイペースで登り続けていると
身体が少し楽になってきた。
 
 
陽が沈み、気温が下がり、
時折吹く風が心地よかった。
 
 
それが体調が戻ってきた
最大の要因だった。
 
 
先のエイドで摂取した塩ジェルが
自分に合っていた、、、
ということもあったかもしれない。
 
 
光が見えてきた。
 
 
先行する2人の選手の
背中が近づいてきた。
 
 
追い付いた。
 
 
そのまま2人に付かせてもらい、
2人の会話を聞いているうちに
元気が出てきた。
 
 
2人は昨年の同大会の完走者で
このペースでいけば、
 
次の第4エイドには余裕で着く
だろうことが分かってきたからだ。
 
 
2人のペースはその時の自分には
決して辛いものではなかった。
 
 
後ろに付かせてもらったことで
引っ張ってもらう形になり、
 
さらに暗闇の中、
道を間違える心配、不安もなく、
最高の状態で進んで行けた。
 
 
お陰で先行する選手にも追い付き、
次々に抜いて行った。
 
 
 
後半の途中で2人とは
分かれてしまったが、
周りには選手が大勢いた。
 
 
最大の難関というだけあって、
最後の最後まで急勾配の長い坂が
何度も待ち受けていた。
 
 
ひと山越えて、またひと山、
いつ終わるとも知れぬ急坂の連続に
心が削られていく。
 
 
それでも周りの選手よりも
速いペースで進んで行けたことが
勇気をもらえていた。
 
 
 
ようやく第4エイドが見えてきた。
 
 
関門時間が深夜3時のところ、
午前0時を少し回ったところだった。
 
 

A4(59km) 名栗げんきプラザ

 
関門時間より3時間近くも早く到着。
 
 
完走も夢では無いと思えたことで
元気が湧いてきた。
 
 
ここでは、ドロップバックがある。
 
 
用意していたカレーヌードルを
食べると生き返った心地がした。
 
 
S井さんから事前に聞いていた
アドバイスが活きた。
 
 
さらに、塩むすび、味噌汁、パン、
饅頭と立て続けにお腹に詰め込んだ。
 
 
気持ち的には元気になったが、
身体はかなり疲弊していた。
 
 
動いている間は良いが、
じっとしていると震えるほど寒い。
 
 
仮眠をとろうとしたが、
とてもそんな状況ではなかった。
 
 
30分程の休憩で出発。
 
 
ルートが分からず、
後続の選手を待って着いて行った。
 
 
しかし、思いのほか疲労があり、
今度は他の選手に着いていけない。
 
 
いつしか一人旅になっていた。
 
 
山伏峠から伊豆ヶ岳を経由し、
そこから正丸峠に向かうところで
完全に道に迷った。
 
 
コースアウトだ。
 
 
他の選手のライトを探したが、
なかなか見つからない。
 
 
同じところを行ったり来たり
しているうちに明かりが見えた。
 
 
ようやく一人の選手に会え、
ルートを教えてもらったが、
どうやら逆走していたらしい。
 
 
なぜそうなってしまったか、
全く分からなかったが、
きつねに化かされた感じだった。
 
 
 
奥村茶屋に到着すると
ゆっくり休憩をとり、
 
肉うどん(1,000円)を食べ、
トイレを済ませてから再スタート。
 
 
虚空蔵峠の登りに入って行った。
 
 
 
まだ暗いのに鳥の鳴き声が
聞こえ始めていた。
 
 
夜明けが近いのだと感じた。
 
 
 
 
明るくなってきたところで
小さなコースアウトがあったが、
 
後続の選手と共にすぐに気づき、
大事には至らず。
 
 
完全に夜が明けてからも
次の第5エイドまで
いくつもの峠を越えていった。
 
 
第5エイド手前で
またもコースアウトするが、
 
この時は、
後続選手に呼び止められ
少しのロスで事なきを得た。
 
 
Polarのバッテリー切れが
近づいていた。
 
 

A5(72km) ビジターセンター

 
第4エイドからは13kmのはずが、
思いのほか長く、
7時間近くを要していた。
 
 
コースアウトと奥村茶屋での休憩が
あったにしても、
実際の距離は13km以上あるように
感じていた。
 
 
ついにPolarのバッテリーが切れ、
時間と距離が失われた。
 
 
スマホのジオグラフィカが
頼りだった。
 
 
スタートから24時間49分が経過、
ちょうど午前7時になろうとしていた。
 
 
 
第5エイドでは、
コーンスープとバターロールパンが
用意されていた。
 
 
朝食メニューとしても
最適な組み合わせだった。
 
 
ここまで不思議と眠気は無かった。
 
 
途中で頭がボ~とすることはあったが、
睡魔に襲われることは無かった。
 
 
レース前の睡眠時間は4時間と
短かったのに不思議だった。
 
 
眠気を感じさせないほど
きつかったのかもしれない。
 
 
実際にここまでで心身ともに
かなり疲れていた。
 
 
温かいコーンスープとパンで
お腹が満たされると、
スタートする元気が失われていた。
 
 
リタイアしようか・・・
 
2度目の弱気が頭をよぎる。
 
 
ここからまた険しい山に入って行く
と考えただけでも
強い気持ちが失われていた。
 
 
完走は無理かな・・・
 
と弱気のまま惰性でエイドを出発。
 
 
重い足取りでロードの坂道を
登って行った。
 
 
 
どこかで山に入って行くのかと
思っていたが、
延々とロードの登りが続く。
 
 
途中で先行する選手に追いつき、
声を掛ける。
 
 
どうやらしばらくは、
舗装ロードの登りが続くらしい
ことが判明。
 
 
険しい山中と思っていただけに
気が楽になった。
 
 
ロードも決して楽ではないが、
それでも今は山の中より
ロードの方がずっと良かった。
 
 
 
一緒になった選手は、
地元埼玉の選手で初参加だった。
 
 
そこから次のエイド近くまで
ずっと行動を共にするが、
 
会話しながら進めたことで
気持ち的にもずいぶん楽になった。
 
 
自分よりトレイル経験も豊富で
様々な情報を教えていただいた。
 
 
失われたPolarの距離も時間も
その選手の情報でカバー出来た。
 
 
そして、このままのペースでも
完走は問題なさそうだと分かり、
勇気を得たことも大きかった。
 
 
独りで進むよりも仲間を得ることで
どんなに力になるかを痛感した。
 
 
 
ウオーターエイド手前から、
35Kレースの選手たちが
同じコースに続々と合流してきた。
 
 
105Kで疲弊している我々と違い
元気いっぱいでスピードもある。
 
 
ここからコースを譲りながらの
進行を余儀なくされた。
 
 

W2(87km) 阿寺諏訪神社

 
トイレを済ませ最後の第6エイド、
長念寺を目指す。
 
 
 
 
周りはほとんど元気の良い
35Kの選手だった。
 
 
気持ちは触発されたが、
身体はそこまで動かない。
 
 
道を譲るための待ち時間も
なかなかのロスになった。
 
 
そんなにのんびりも出来ない。
 
 
W2辺りから一緒になった
女性2人と声を掛け合い、
協力しながら先を急いだ。
 
 
 
 
コースMAPでは、
W2からほとんど下りと思いきや
 
期待に反し、
何度もアップダウンが繰り返された。
 
 
もはや坂を見るのも
うんざりだった。
 
 
早く最後の第6エイドに
到着したい、、、
 
それだけを考えていた。
 
 
 
 

A6(96km) 長念寺

 
ようやく最後のエイドが見えてきた。
 
 
 
 
そこで予想外のサプライズ。
 
 
何とスタート初日に応援に来てくれた
O石さんがここでも待っていてくれた。
 
 
これには感激した。
 
 
あの最後の山を登れば、
後は下り基調だと、
 
スタッフから得た地元情報も
提供してもらった。
 
 
 
長念寺のエイドでは、
ソーメン、みつ豆、パン、バナナで
エネルギーを補給。
 
 
 
 
ソーメンは凍っていたが
最高に美味しく、
みつ豆と共に2杯ずつ戴いた。
 
 
メダリストのジェルも補給し、
最後のトイレに向かう。
 
 
そこで驚愕の事実が、、、
 
なんと尿が綺麗なピンク色に
染まっていた。
 
 
完全な血尿だった。
 
 
こんな血尿はいつ以来だろう。
 
 
腎臓に相当な負担をかけている
ことは明らかだった。
 
 
 
「残り9kmを3時間以内でゴール。
完走は間違いないから頑張れ!」
 
O石さんに背中を押してもらい、
エイドを出発した。
 
 
 
最後の山に入るまでのロードで、
35Kレースの選手たちに
多くの励ましの声を掛けてもらった。
 
 
35Kの選手たちからすれば、
105Kに挑戦している選手は
尊敬に値するのだと、
 
彼らの激励と態度から伺えた。
 
 
そんなレースに参加していることに
改めて感謝の気持ちが
沸々と湧き上がってきていた。
 
 
 
 
 
最後の釜戸山は、
それなりの覚悟で臨んだが
意外ときつくはなかった。
 
 
これまでの山に比べれば、
どうということはなかった。
 
 
ゴールが見えてきたという
気持ちの余裕もあっただろう。
 
 
 
途中からご一緒した女性と
共に終盤に向かった。
 
 
 
 
最後の登り坂を越えれば、
下りきって山は終了。
 
 
残りは2.5kmのロードのみ。
 
 
ここからは走るのを止め、
歩くことにした。
 
千葉から参加の女性選手と
会話を楽しんでいた。
 
 
その女性はなんと、
20代の頃はトライアスリートで
 
自分と同じく、宮古島や皆生の
全日本トライアスロン大会に
出場していた。
 
 
細身の身体でこの厳しいレースを
完走するのには、
 
やはりそれだけの土台が
あったのだと改めて思った。
 
 
 
ゴールの飯能中央公園は、
すぐそこまで来ていた。
 
 
ゴール手前の数百メートルから
ジョギングを開始。
 
 
2人で一緒にフィニッシュした。
 
 
 
 
過酷なレースがようやく終わった。
 
 
自分自身との壮絶な戦いだった。
 
 
完走できた一番の要因は、
諦めなかったこと、、、
 
ただそのことに尽きると思う。
 
 
脚が動く限り、
前へ進み続けたものだけが、
勝利をつかみ取れるのだ。
 
 
次はいよいよ100マイル挑戦
 
 
来年のMt.FUJI 100を目指していく。
 
 
============
 
記録:33時間55分28秒
 
総合順位:210位/371人
 
男子総合:189位/335人
 
年代別順位:11位/26人
 
完走率:約62%
 
============
 
 
 
 
 

午前3時に目覚めると

早々に支度をして出かけた。

 

 

途中のコンビニで

朝食と補給食を購入してから

大会駐車場に到着。

 

 

すでに何台もの車が

スペースを埋めていた。

 

 

恐らく昨日から駐車中の車も

多いものと思われた。

 

 

 

 

余裕をもって準備を済ませると

スタートの時を待った。

 

 

すると何とシーダーズのO石さんが

応援に駆けつけてくれた。

 

 

O石さんは東京在住とはいえ、

まさかこんな朝早くから

来てくれるとは思わず、

感謝の気持ちで一杯になった。

 

 

嬉しさと同時に

沢山のパワーをもらった。

 

 

 

 

 

午前6時、

第1ウエーブがスタートした。

 

 

自分は第2ウエーブで

10分遅れの6時10分スタート。

 

 

しかし、その10分もあっという間に

過ぎようとしていた。

 

奥武蔵ロングトレイルレース出場のため、

前日の6/7(金)に車で埼玉に向かった。

 

 

島田を9時過ぎに出発して約5時間強、

途中で昼食に台湾料理を食べ、

15時頃には会場入りした。

 

 

 

 

受付会場は飯能公園内の市民会館で、

まずは装備チェックを受ける。

 

 

これがなかなかに念入りで

しっかりしたチェックだった。

 

 

事前にS井さんのアドバイスを受けて

正解だったと思った。

 

 

安易に考えていたら、

通らなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

無事に受付を済ませると、

出展ブースでゆっくりしてから

夕食に向かった。

 

 

夕食は縁起を担いでかつ丼。

 

 

そして宿泊は、

快活クラブの狭山入間川店。

 

 

車中泊や大会で用意してくれた

仮眠所の体育館も考えたが、

個室で休める鍵付完全個室を選択した。

 

 

 

シャワーを浴び21時には横になるが、

なかなか寝付かれずに23時になった。

 

 

そこから記憶が途絶えたが、

恐らく睡眠時間は約4時間ほど。

 

 

十分な睡眠がとれなかったが、

こうなるのも想定範囲内だった。

 

 

先日受診した健康診断の結果が届いた。

 

 

心電図で要精密検査の判定。

 

 

これまで心電図では

一度も引っかかったことはない。

 

 

なぜ?

 

 

ショックだった。

 

 

心室性期外収縮と書かれているが、

はたしてどんな病気だろうか?

 

 

検索して調べると、

 

「心室(心臓の下側にある2つの部屋)で

発生した異常な電気刺激によって、

正常な拍動が起こる前に心室が活性化され、

それにより余分な拍動が生じる病態。」

 

とある。

 

 

さらに、

 

「心室性期外収縮は、よくある現象で

高齢者では特に多く見られる。

 

この不整脈は、身体や精神的ストレス、

飲食によるカフェイン摂取、飲酒、

心臓を刺激する成分を含むかぜ薬や

花粉症治療薬の使用によって発生する。」

 

と解説されていた。

 

 

なるほど、そういうことか。

 

 

不本意ではあるが、

よくある現象で高齢者には多い、

というところで少し安心した。

 

 

自分は酒やコーヒーは飲まないし、

かぜ薬等の薬もほぼ飲むことは無い。

 

 

もっとも該当するところは、

仕事による精神的ストレスだろう。

 

 

 

それでも気になるため、

すぐにかかりつけ医の診断を受けた。

 

 

病院で再度、心電図検査をしたが

やはり不整脈が現われた。

 

 

一週間後には、

奥武蔵ロングトレイル105Kがある。

 

 

医師にそのことを伝えると、

レースには支障ないだろうとのこと。

 

 

ただし、不整脈が頻繁に現れるなら

より精密な検査が必要とのこと。

 

 

一か月後にまた通院するよう言われたが、

7月には全日本トライアスロン皆生大会

が待っている。

 

 

7月の皆生大会が終わってから

再度、診察を受けようと思った。

 

 

とりあえず、

運動できない病態ではないと

分かっただけで今は十分。

 

 

気持ちはすでに

大会に向かっている。

 

 

久しぶりにシーダーズの練習会に参加。

 

 

今日は、

スイムバイクの2種目を行った。

 

 

スイムはプールも含めて今年初。

 

 

いくらスイムが苦手とはいえ、

練習量の少なさは

トライアスリートとして失格だろう。

 

 

分かってはいるが、

昨年からトレイルを始めたことで

 

ますますスイムの練習が

後回しになってしまっている。

 

 

それでも2週間後に迫っている

奥武蔵ロングトレイル105Kが終われば、

 

7/14開催の今年初トライアスロンとなる

全日本トライアスロン皆生大会に向け、

 

スイムの練習量を

増やしていく予定でいる。

 

 

 

さて、問題の初スイムだが、

泳ぎ始めてしばらくすると

右腰に鈍痛が出始めた。

 

 

一週間前のトレイルレースの影響か、

それとも単なる練習不足か?

 

 

次第にフォームも崩れ、

真っ直ぐ泳げなくなってきた。

 

 

これ以上泳いでは

かえってマイナスになると判断。

 

 

スイムを早々に切り上げた。

 

 

 

バイクはシーダーズ恒例の

玉取までの往復コース。

 

 

今回は、

三ツ野『やまめの里』まで

距離を伸ばして往復。

 

 

懸念された右膝の膝蓋靭帯炎は

軽い痛みで済んだ。

 

 

皆生大会までには、

スイム、バイクとも

練習量を増やしていく。

 

 

 

【今日の練習会】

 

 

 

 

スイム 約1㎞

 

バイク 約46.5km

 

 

一週間前のトレイルレースの

良いリカバリーになったと思う。