これからこの作品の辿った不思議な物語をお話いたします。
実は、私がこの夢二記念館を開館したのは昭和五十六年春のことでした。
そのころ夢二の資料は殆ど無く、夢中で収集をしていた最中でした。
ある日、東京の画商夏目美術店から電話で「夢二の絵が見つかったから、見に来て、良ければ買わないか」と言ってきました。
当時駆け出しの私は、鑑識眼などなく、すべて作品を購入するとき、夢二研究家長田幹雄先生のご意見を聞いてからにしていました。
その時も、先生が指定した十二月三日に画商さんと先生のお宅を訪問し、その絵を見て頂いたのです。
絵を開いた瞬間、先生の表情が一瞬変わったような気がしました。しばらく沈黙がつづき、
「これは私のものです」
と絞りだすような低い声で言うではありませんか。
先生のお話によると昭和二十九年夏大阪の三越百貨店で夢二展が開かれたときのことです。
その展覧会に出品するからと、先生の所にK氏がこの作品を借りに来たそうです。
先生はK氏を信用して渡したのですが、展覧会が終わっても作品が戻ってこず、K氏が持ち逃げしてそのまま行方不明になってしまったそうです。
私はその時の先生のお顔を今でも忘れることができません。
それは二十七年目にやっと再会した喜びと、折角再会しながらご自分のものとして取り戻すことのできない、切ない思いとが複雑に入り混じった表情をされておられたのです。
私はためらうことなく、この作品を買い戻しました。
そして、後日先生のところにお持ちしますと、「いいんだよ。君の所にあれば、何時でも会いにいけるからね」とちょっと寂しそうなお顔をして、受け取ろうとはしませんでした。
今私は、二十七年もの長い間行方不明になっていた作品に、所有者が巡り合った、その瞬間に偶然立ち会った、不思議なえにしをしみじみ感じています。
館長 木暮 享