今日は記念館の建物についてお話してみたいと思います。
広い雑木林の中に本館・大正ロマン夢の館・黒船館・聴雪庵(茶室)・音のテーマ館(オルゴールの館)・特別館・義山楼・江戸時代の長屋門(食堂、喫茶室)など8棟の建物(総床面積およそ1000坪)が昭和55年から平成16年までの24年間にわたって建てられました。
そうした建物の建設理念は竹久夢二が榛名に建設を予定した榛名山美術研究所の理念をしっかりと踏襲して造られています。それは具体的に言うとすべて本物の材料を用い、日本に1つしかない手作りの施設を目指しています。そして、その施設が夢二の作品を飾るためにいろいろな工夫がなされているのです。
設計者は日本民家建築の大家、故山本勝己先生(俳優山本学・山本圭・山本亘のご尊父)が最初に手掛け、その後氏の愛弟子、武田悟先生に引き継がれて現在に至っています。
それでは1つ1つの建物をご案内致します。
まず第1に本館についてお話しましょう。
この本館は記念館の最初の建物で3階建て100坪の建物で、1年間寝ても覚めても考え続け、昭和55年の初夢で、夢の中にはっきりとこの形が出てきました。
雑司が谷の夢二の墓地にお参りし、「この事業がもしあなたにとって良いことなら是非陰ながらお力を貸して下さい」と祈ってきました。
その後、正月の仕事始めを待って、上記の設計事務所に電話して、設計の依頼をしたのですが、それから設計期間たった1ヶ月でおよそのデザインが決まり、5月23日に着工という想像出来ない早さで事が進みました。それは1年間考えて、練りに練った結果の発想だったからだと思います。途中で設計変更はほとんど起こりませんでした。ただ1ヶ所だけ階段の位置を変更しただけでした。
着工から完成までおよそ1年かかりました。その間、私は毎日その現場を訪れ、夢二のことを思い、必ず夢二の作品が似合う施設ができ、大勢の方が訪れ、それをご覧になって頂けるよう思いを込め続けました。
コンクリートが打たれ、中に入れるようになった時から、1階から2階、2階から3階へと何回も何回も歩き、いろいろな構想をそこで練りました。不思議なことに夢に見た蔵の形がそのままそっくり夢二記念館として完成したのです。それは昭和56年春のことでした。
開館式は、五月晴れの爽やかな日でした。周りの木々は新緑にきらきらと輝き、宵待草の曲が流れる中、竣工式が厳粛に執り行われていったのです。
見上げると空は青く美しく、そこに白い軒先がかわいい弧をくっきりと描き、夢二の絵を飾る館にふさわしい優しさをそっと添えて、建っていました。
込めた思いは、人に伝わるものなのでしょうか。真新しい建物から出てきた人々の表情に、はっきりとそれを見て取ることができたのです。
外観は和風、内部は洋風、見上げると軒先が空に美しくかわいい曲線を描き、建物に優しさを添えました。
入口のドアに使用したエッチングガラスは夢二の描いた絵から無意識に選んだ絵を使用しましたが、その絵は不思議にも「めぐりあい」という題がついていました。ここから夢二とのめぐり合いが始まります。
空間全体から夢二の作品の醸し出す雰囲気が伝わってきます。アンティークの時計、本物の家具などを配置し、アットホームな雰囲気を感じて頂けるよう配慮しました。
ことが成就するためには
時と
所と
人と
物
この4つの条件が揃うことが必要だと思います。それを叶えるのは方法や策でなくて、もっと高い、深い人間の知恵をはるかに超えた大きな力があると思います。
私はこの本館建設にあたってそのことをしみじみと実感しました。
次回は、次の建物のお話をしましょう。