夢二記念館建設に私を駆り立てた第1の理由と第2の理由についてはすでにお話しましたので、今日は3つめの理由についてお話してみたいと思います。
それは夢二の今だに衰えることのない絶大なる人気を知ったことです。
昭和54年(1979)5月、私が経営していた旅館木暮山荘のフロントホールで開催した竹久夢二オリジナル版画展のとき、夢二のその人気を実感したのでした。会期は5月23日から2週間と決めてスタートしたのでした。引きも切らぬ入館者に圧倒され、会期の延長に次ぐ延長で、とうとう1年間その展覧会をやってしまうことになってしまったのです。
夢二の人気はすごいと、驚くと同時に夢二のことをもっともっと知りたくなりました。そして夢二のことを夢中で勉強し、何で夢二の人気がこんなにあるのかその原因を知ることが出来たのです。
知れば知るほどすごい芸術家だったということが分かり、どうしても夢二の記念館を建てたくなったのです。
その原因・人気については次回にお話いたしますので楽しみにお待ちください。