日常が非日常に変わる瞬間 続き

病院につき、受付で並んでいるとケアマネから連絡がはいる。

「7番のあたりにいます」

 

朝からの出来事を話してくれた。

警察を呼んでくれて救急が入った時、ご近所さん、ケアマネさん

ヘルパーさんは、家に入らず戸口で待機。

事件性があってはならないからだとのこと。

ケアマネから父の状態を確認。

たぶん夜に足がもつれ顔から倒れたようで

鼻血が出ていた。そして微熱がある。とのこと。

 

救急隊のかたが、こちらには奥さんがおられたと思うのですが、

今はどちらに、と質問されたとのこと。

また、父の名前の漢字はこれですよねと確認。

救急隊のかたがしっかり、家のことを把握してくれていた。

たしかに、母が施設に入る前に何度も救急にお世話になった。

 

救急診療の扉があいたその隙間からのぞくように

「あの・・・。お父さん陽性ですが・・・。いつから熱があったんでしょうか」

”えっ? 微熱としか聞いてませんが”

ケアマネも大きくうなずく。

「そうですか・・・。じゃあ、発症0日としておきます」

 

そのあとの病院は厳戒態勢に入った。

父を入院させるための部屋の確保、運ぶための経路の確保、時間。

看護師の方もバタバタと動き始める。

病院内のエレベータへつながる通路が封鎖された。

検査を終えて今から入院をするかた、退院の時間になっているかたにも

待ってもらう状態だった。

 

また各患者へは、不安にさせないための配慮もされていた。

”申し訳ありません本当に。そしておありがとうございます。”と

心の中でつぶやいた。

 

無事に父が入院でき、先生と話ができた。
父の鼻血の処置に行ったら、微熱ときいていたが熱が上がってそう。念のために

って感じだったと。軽症なので受け入れられるが、中等症となった場合、大きな病院へ移ることになるといわれ、年齢も年齢なのでと。少し覚悟めいたことの話も

あった。

 

しかし、出来事は父がしっかりとご近所さんや、公共の方々とかかわりを持っていたから気にかけてもらえ、連絡がきたと思う。

昨今、私を含め周りとかかわりを持たない人たちも増えているが
自分はここで暮らしているとしっかりと声を上げていくことが大切であると

改めて感じた。

子どもに優しい街だけでなく、高齢者にも優しい街でもないといけない。

一人で住めなくなったら施設へも確かであるが、最後まで自分の住処で暮らせる街であってほしいと思う。
 

また、すべてがデジタルで事が済むのではない。今回のように『ごみが捨てられていない』これを不審に思い、連絡を入れる。このアナログな動き、そして互いに情報を出し合う。これで一人の命が助かったともいえる。

コミュニケーションの大切さ、いろんなことを経験をする大切さ、どのように人とかかわるか、が私のこれからの課題となりそうだ。

・・・本当に皆様のお力があったから大事にならなかったと思います。
心より感謝いたします。・・・・