超絶HAPPYのブログですが本日は愚痴になります。

転院先のH脳卒中リハビリテーションセンターの急性期病棟は、からきんず(津軽弁でいじわる、わがままの意味)な主任クラスの看護師がいたため、病棟全体の雰囲気は悪く、働く看護師も覇気がなく負のオーラが漂っていました。

それは私が入院していた3年前のことなので、今は白衣の天使たちが生き生き働いているかもしれません。
その、顔テカテカな主任クラスの看護師は仕事もせずに隣の男性患者の個室に入り浸っておしゃべりばかりしていた(ようだ)。
爪を切ってあげて現金を受け取っていた(ようだ)。
Googleのクチコミにも書かれていたがたぶん、あいつの事だ。
自分の顔の油で転んでしまえ。

私が売店に連れて行って欲しいとお願いしても、全然来ず、しまいには売店はもう閉まってると嘘をついた。
おかげでお水も買えず、1万円を崩したかったのにテレビのカードも買えず、唯一の楽しみのテレビを見れない日があった。
テレビのリモコンの電池がもうすぐ無くなると表示があったので頼んだら、結局電池を持ってきたのは何日も経った回復期病棟に移る日の朝だった。
移動先の病棟に電池頼んだのにくれなかったと言われるのがいやだったのだろう。


また、担当の医師もほんずなし(津軽弁でたよりない、無能だ)の意味。
あ、ここで余談ですが、どこの方言もそうだろうけど、標準語にどうしても訳せない微妙なニュアンスってありますよね。
あくまでも、このパターンがこの意味ということです。

話しそれましたが、その医師は毎朝の回診の時、決まって病室の隅っこを見ながら入ってきて、なんか小声で(たぶん、変わりないですか?的なこと)言ってそそくさと帰ってしまう。
ある日私が「少し頭がチクチク痛いんですけど」と言ったらしばらく間を開けて「ちくちく?。。。」「あるな!」と言って帰って行った。「はあ?」である。アンタにはもう何も期待しない。

そんな理不尽な事がちょこちょことあったので、夜は興奮が収まらず、中々眠りにつくことが出来なかった。
脳にとって1番寝るのが大切な時期だったのに。

ようやくうとうとしかけた時にやってくる、真夜中のオムツ交換タイム。
私のいた病室は寝たきりのおばあちゃんが二人いた。
看護師はおしゃべりしながら大きい音を出して、毎晩お祭りのようだった。しかも、ナースコールがずっとポケットで鳴っているのにおしゃべりの真っ最中で全く出る気はないようだ。

そんなこんなで、こちらはしっかりくっきり目が覚めてしまう。

お祭りが去ったあとも全く眠れず…
そんな日がずっと続いた。
眠れない夜ずっと、亡くなった両親のことを考えてた。
私の母は心臓弁膜症で東京女子医大で人工弁を入れる手術をした。
私が中学三年生のときだ。
遠く離れた病院で危険な手術をして3ヶ月もお家に帰れなかった。
どんなにかお家に帰りたかったことだろう。意地悪な看護師もいただろうな。
その時の母の気持ちを思ってまた眠れなくなった。
入院中も退院後も55歳でこの世を去るまでも、私は娘らしい事を何一つしてやる事が出来なかった。
親不孝な娘だ。
もっと、母の気持ちに寄り添ってやるべきだった。
父も85歳で亡くなる5年くらい前から施設に入っていた。
離れた場所だったので頻繁に行ってやることも出来ず、そのままその施設で亡くなったが、父も家に帰りたがっていた。
両親のそんな気持ちも私が入院したからすごく分かった。そして、反省することが出来た。

ああ、言いたいことを言えてスッキリしました~
読んでくれた方ありがとう。
多少尾ひれなどついてるかも。3年前の頭ポカンのときのことなので。

次回はそんな急性期病棟でのリハビリの様子をお伝えしますので、見てね。