Twitterをふと眺めていると武藤さんのツイートに
今日は昔の仲間たちが沢山集まって、俺の『お疲れ様会』を開いてくれた。
生きる道はそれぞれだけど、みんなタフに生きてる。
本当に心温まる空間だった。
みんな、ありがとう!!
とあって、僕の中では「これが全てだな」と思えるくらいに納得させられるものがあった。
『生きる道はそれぞれだけど、みんなタフに生きてる。』
つくづくこれだと思う。大事なのはどれだけタフに生きれるか。僕の中では胆力という言葉で言い換えれるなと思った。
プロレスの仕事をしているとリングに上がっていること、リングを降りていること、リング内外を問わず景気がイイ話ばかりではない。
景気がイイ話ばかりではないことが続いていくと、心が折れそうになるというか。気持ちが自暴自棄に連れ去られそうになるのだけど、またそこでひと踏ん張りすると、次が見えたりすることもある。
そのひと踏ん張りには七転び八起きで生きるタフさ、胆力が必要なのだとつくづく感じる。
僕の中では今年はそうしたタフさが最も問われる夏になりそうだ。
毎日違う種類の仕事が舞い込み、毎日脳の切り替えが要求される。自分の持っているOSを切り替えたり、搭載しているアビリティを細かく切り分けていく。
何者かである定義が若者の間では重要なことの一つだと囁かれて久しいが、そんなことを気にする余裕が1ミリもない。何者かと問われれば、カッコよく言うつもりもなく「今成夢人をやっている」としか言いようがない毎日だ。
毎日違うレスラーにインタビュー撮影をする。価値観や眼差しが違う。そのレスラーをフィルムに収めることは僕の仕事の一つだが、同時に自分のレスラーとしての根幹の部分に刺激を与えられている。自分ならどうする?自分は?そこには常にレスラーとしての自分を添削する要素が入り込む。「だが、俺はこう思う。」がどうしたって接続される。だから常に考えているんだなと感じた。
7月9日にエル・リンダマン戦が決まり、2kg絞った。対戦相手はまた一つの合わせ鏡だ。相手が決まれば、相手に張り合うための行動を自然ととろうとするのが不思議である。たかだか2kgの体重でも"やや重いな"と感じていた感覚が薄らいでいく。こうして肉体はベストな自分を探っていき、当日を迎えたがっている。
久々に銭湯、サウナに。抱える案件が多く、頭の中を無に出来たとは言い難かったが、風呂が妙に心に沁みた。閉店の音楽が流れて、また頑張ろうと心に決めた。
人間は生きる道はそれぞれで、また生き方もそれぞれなのだが、タフでいられるか。タフさがあるからこそ、感じられる人生の味わいがある。僕はそこの横軸と縦軸が今、急激に広がっている瞬間を生きている。そうした領域における「強さ」を探求していると感じる。
ここをタフに生ききれるか。タフな自分を創り上げられるか、仕上げられるか。2023年、夏の大勝負だ。