ハーベイ・ワインスタインによる性的暴行を告発した2人の女性記者による回顧録を基に映画化した社会派ドラマ。

ということなんだけども、約2時間、気骨のある脚本にそれこそ気骨のある役者陣たちとシンプルな演出(丁寧に撮って、丁寧に編集する)というドラマでございました。個人的に90年代のアメリカ映画にも似た雰囲気の質感が漂っていて好きです。この感じがそれこそ90年代のアメリカ映画のを作ってきたワインスタインに対してのものなのかは全くもってわからないですが。

記者たちと、勇気ある告発をする人たちのドラマなので、ワインスタインによるセクハラを具体的に描写するとか、トラウマを喚起させるとかという描写があるわけではないです。あくまで二人の女性記者がワインスタインの性的暴行に関する取材をしていくことをドラマにしていく。でもそこに題材に対する真摯さが感じられて、観ていてずっと背筋が伸びる感じがします。具体的なトラウマ描写をするわけでもなく、この取材劇を丁寧に映画として作ることで、何故か強烈な喚起力がありました。その喚起力は役者の芝居、カメラのショット、見事な脚本と映画が映画の構造を保つための最低限の要素で成立しているからこそ、感動がありますし、喚起力に繋がっているのだと思います。だからこそ、感想を書き留めたくなる熱量に満ちています。

ワインスタインによる性的暴行を描いていますが、自分の身辺で起こった出来事にも重なることが多いです。逆らえない上司へのパワハラ、無意識な差別など日常的にハラスメントが潜んでいるし、目撃したり、体感するからこそ、喚起力があります。

私も個人的にはパワハラという部類に関しては個人的にかなり敏感です。殴られるという体験によってそれがパワハラだったのだと初めて認知出来たこともありました。そういう主従関係をいつの間にか強いられているとか、やっぱりおかしかったですよね。おかしいことにおかしいと言えない状況にさせられてきたわけだから、「今成はよく耐えたな」とか美談にしてもいけないと感じます。時間によって痛みが癒えた部分もあるけども、今はハッキリと加害と被害の関係だったと思えますからね。加害は被害者の意識を盲目にしようとするの。

見て見ぬフリをしていたセクハラ、パワハラもあったのではないかと思います。あの人のあれはダメだろうとか、関わりたくないから見て見ぬフリをしていたりとか。そういう意識に直撃してくる。そういうことにもこの映画を見ると喚起力があるのですよね。今はそうした人たちは私の周りからはいつのまにか消えました。それは何気なく消えたように見えて、ちゃんと消える理由がありますよ。間違いなくハラスメントなサムシング。消えてどんな思いを抱えて生きているのだろう。

映画はワインスタインの話ではあるけど、それは氷山の一角で、そこらじゅうにあることなんだというのが見終わって率直な感想でした。そして自分自身も誰かを傷つけてはいないだろうか?と、自省もする。

ビスタサイズの大きなスクリーンに釘付けの2時間。今、映画館で見ないでいつ見るのよ!な一本でございます。