『THE FIRST SLAM DUNK』を劇場で鑑賞した。



劇場公開前に合ったネット上の不安の声(声優問題とか)を吹き飛ばす素晴らしさで本編途中からなんだかずっと泣いていたなんで泣いていたかって言えば当時ジャンプで毎週の連載を楽しみにしていたころの記憶がぐわーっと掘り起こされてくる感じがしたから。25年以上も経って、よく映画化してくれたと思うことと同時に、俺もよく頑張って生きてきたなーみたいな時間軸が重なるのよ。だから小学生の記憶がセットで掘り起こされてきて、もう号泣に嗚咽。大変だった。だからこの映画は問答無用の2022年のベスト・オブ・ベストだ。

現在、私は37歳だ。
スラムダンクが『週刊少年ジャンプ』で連載していた頃は1990年から1996年。
僕がジャンプを購読するようになった頃は94年とか95年とかだったと思う。
半ば衝突な最終回には小学生だった自分でもビックリした記憶がある。

『スラダン』のお陰でジャンプの購読を母親に許してもらえた。むしろ母親が『スラダン』を楽しみにしすぎていたから、母が買うジャンプを僕が読ませてもらうという流れだったかもしれない。

母の長所は感性が若い部分があって、歳が40半ばになっても、若者の間で流行っているものをスポンジのように吸収してしまうところだった。だからスラダンの熱狂も母は前のめりで参加していった。流川、三井、小暮と好きなキャラクターを見つけては小学生の僕に熱っぽく話しかけてきた。

父はそういうのに疎い。若い人たちに流行していることに興味がない。だから父と接点を作るのは難しかった。仕事も忙しくて、一緒に何かをした記憶はほとんどない。父との関係値は疎遠だった。一方で母との思い出はどんどん積み上がっていった。

だから『スラダン』が母との強烈な接着剤になった。『スラダン』目的で買った少年ジャンプに母はもっと前のめりにさせた。『ジョジョの奇妙な冒険』が凄いと熱弁する。第5部のイタリア編、ジョルノ・ジョバーナの決意が凄いのよ、と。当時の僕はややグロテスクな絵に抵抗があったが、母のプレゼンで読むようになると、『ジョジョ』にもハマっていった。

『THE FIRST SLAM DUNK』を見ていたら亡き母とのそういう思い出みたいなのが、ぐわーっと押し寄せてきた。スクリーンで躍動する翔北の面々に僕の幼少期の記憶は強烈に接続されている。宮城リョータの知られざる過去のエピソードが回想されていくというこが、そのまま自分が小学生の頃の記憶をフラッシュバックさせるような機能を持っている。こんな映画体験初めてだよ。

1992年に小学校に入学して、1998年に小学校卒業。
中学に入学するとバスケ部が人気だった。みんな『スラダン』の余韻があったからだろう。そういう世代だ。

もう覚えてないことも多いけど、こうやって当時のスラダンをベースに再構成された新作アニメ映画を観ることで、こうも個人的な記憶の体験を掘り起こされるとは思わなかった。おかげさまで母にも見て欲しかった作品No.1になりました。三井は相変わらずスタミナがなくて、3ポイント決めるときは決めるから超かっこいいんだよ、って話しかけたいぜ。

井上雄彦先生、万歳だ。ありがとうございます。