227日。サスケ会長の6年半前の予言を自分自身の回収し損ねた伏線と捉えて、半ば一方的にテーマを創り上げ、サスケ会長とのシングルマッチに挑んだ。


サスケ会長の入場には女性歌手がいたりと、会長の創る世界観がそこにはあったが、自分の存在がそれによってかき消される心配は何故か不思議となかった。


そわそわしていたはずが、どっしりとリングに向かえた。不思議なものだ。





会長の作り出すエネルギーや間がそこにはあった。それでも私は対峙した。これまで今成夢人は色んな試合をしてきた。こう見えてオールラウンダーなのだ。自分がそれにただ呑まれるだけではいけない。毒と対峙しても、こちらにも毒はあると信じて闘うしかないと。


僕は信じ続けていた。サスケ会長の予言を。会長が名指しで公の場で僕の名前を挙げた。その報は僕の心に何かを与えてくれた。あのザ・グレート・サスケが今成夢人がくるのだと言った。ただその事実で何かが満たされたのは間違いない。


会長の満身創痍のカラダに僕は持てる技をぶつけていった。日頃のトレーニングの成果を感じまくる。自分に力強さが加わっている。


会長に渾身のラリアートをぶつけて、ピンフォール勝利。6年半前の今成では勝てなかったはずだ。それでも鍛錬を重ねたカラダでぶつかれる、かつ情念を最大限乗せられるラリアートで勝つことが出来た。嬉しい。



会長に感謝の気持ちを伝えた。会長も満身創痍ながらマスク越しながらどこかスッキリとした表情に感じられた。



試合が終わり、改めてご挨拶をさせていただく。すると会長が


「ジャンル問わず去年の映画ベスト1は何だった?」

と訊いてきた。


僕は「アナザーラウンドですかねえ。」と答えた。


すると会長は「あれ、最高だった!!」

と返答。そこからのアナザーラウンド話が大盛り上がり。



それは僕にとってあまりに幸せな空間だった。後楽園ホールの控え室で、デンマークの映画について語り合う。過酷な二人だけのシングルマッチを終えて、プロレスを通じて互いに語らい、さらに映画について語らう。映画からクリエイティブの養分をもらい、それをプロレスで放つプロレスラー、ザ・グレート・サスケと対等にだ。お互いにクリエイティブの源泉となる映画について語り合えたことが僕にとって幸福な時間だった。


なんと映画的な時間なのだろう。後楽園ホールの控え室で、タランティーノがシナリオを書いたのではないかというような、そんな会話を僕たちはしている。


帰り際に会長が「前に大船渡の控え室で今成くんが『6才のボクが、大人になるまで。』が素晴らしいと言ってたよね。あれも観てよかったよ〜。あれで君の感性は素晴らしいと思った。」と言ってくれた。



私は腑に落ちた。サスケ会長が予言で名を挙げてくれたのは僕が沢山いい映画を観てくれていることを買ってくれたに違いないと。コイツはきっと映画を見続けてその感性を爆発させてくれるのではないかと、そう思ってくれたのではないだろうかと。


僕は後楽園ホールの控え室で一人、感動と安堵感に包まれていた。この感覚を分かってくれている人がいたこと、そしてそんな偉大な人と闘えたこと、そして地球の未来を託されたことに。


誰も分かってくれないと思っていた。誰ともシェア出来ないと思っていた何かが会長と繋がることが出来た。その先にプロレスがあった。予言には根拠があった。映画館の暗闇の中に照らされる光が僕らの創造の源だった。それが僕もサスケ会長も一緒だった。


託された。何かを託された。

そう感じた。この試合の勝利は託された勝利だ。サスケさんからの伝心だった。きっとこれからも源泉は映画館の暗闇の中にあり、会長も私もそれを浴び続けるだろう。


予言は的中しかけている。

言霊を信じきった人間は強いのだ。