2015年12月12日、僕はTHE OUTSIDERのリングに上がっていた。
場所は大田区総合体育館。当時30歳の僕はプロレス名鑑にも掲載されていないプロレスラーで、そしてただ毎日の業務に忙殺されている映像ディレクターだった。プロレスラーとしてもプロレス名鑑には掲載されないレスラー。一体自分は何者なんだろう。何者になれるのだろう。




年の近い友人たちはどんどん社会でハネていった。あいつも活躍しているなあ、あいつは金稼いでるなあとか。こちらはただそういう劣等感と焦燥感だけが貯蓄されていくような感じ。

朝井リョウの小説『何者』のように何者でもないこと、何者かになりたいということが複雑に絡み合うような、気持ち悪い状態が続いていた。


だからこそ毎日が捨て身でいられたような感じだ。明日なんてどうだっていいという毎日。ただただ足掻き続けていた。




THE OUTSIDERの翌日に知り合いのディレクターから連絡があった。「サスケさんが今成さんの名前を出してましたよ!」と。

サスケさんが自身のイベントの中で、2016年にブレイクするプロレスラーとして、ガンプロの今成という名前を挙げてくれたらしいのだ。

サスケさんとの接点はプロレスキャノンボールの大船渡大会で映画の話をさせていただいて以来何もない。

にも関わらず、サスケさんが僕のことを覚えてくれていて、僕の名前を出してくれたことに驚きを隠せなかった。

以来、僕はサスケさんを特別な人だと思うようになった。映画に感化されて、プロレスやクリエイティブに反映させていく姿は他人事には思えなかった。





2009年には映画『レスラー』に感化させて主人公ランディ"ザ・ラム"ロビンソンになりきるサスケさん。僕もこの映画を劇場に5回は見に行った。ミッキー・ロークでしか演じられなかったその虚実入り乱れるドキュメント性の強さだけでなく、監督としてコケかけていたダーレン・アロノフスキー監督の復活も導いた作品だった。当時、僕は多摩美術大学4年生。作品制作はコケまくっていて、残すチャンスは卒業制作しかない。この作品に感化された僕はミッキー・ロークにもダーレン・アロノフスキーにも身を重ねて、カメラを持ち『ガクセイプロレスラー』を完成させた。構成やドキュメンタリータッチなカメラワークは『レスラー』の影響が多分にある。






そんなこともあってか、不思議とサスケさんと妙な心のシンクロを感じていた矢先に、2015年末の大予言があったのだ。

その予言は外れることになった。僕はブレイクはしなかったし、天下をとることもなかった。
2016年もうだつの上がらない日々だったと思う。それでも2015年末にTHE OUTSIDERに挑戦した辺りから、もうどうにでもなれという逆噴射のエネルギーは日増しに高まっていたように思う。予言通りにはならなかったが、僕はその予言を忘れたことはなかったし、言霊として僕の心の中に生き続けていた。

あれから6年とちょっと。僕はコツコツと生きて、まだプロレスも映像もやっている。まだ何者でもないかもしれないが、今は自信を持ってプロレスラーだと言える。

サスケさんの言霊がまだ僕の心にある。
あの時の予言の呪縛を今、解き放ちたい。

2022年、2月27日 東京・後楽園ホール。ガンバレプロレス興行。
今成夢人 vs ザ・グレート・サスケ