セールスマン

下高井戸シネマでドキュメンタリー史に語り継がれているという伝説の作品『セールスマン』(1969年)を観に行ってきた。なんでも日本で初公開だとか。めちゃくちゃ貴重な上映がさりげなく行われていたようで、いてもたってもいられず。あとワイズマンの新作を観に行けなかったストレスもあって。

メイズルス兄弟とはドキュメンタリー映画の兄弟作家チームのようです。ダイレクトシネマの系譜。説明的なナレーションや音楽などはありませんでした。

作品はもう、めちゃくちゃ面白かったです。もちろんモノクロ。

低所得者層に高額の聖書を売り歩く背広のセールスマンたちが主人公。タバコをプカプカと吹かしながら、今日はこれくらい売れたと嬉々と話すセールスマンたち。ある一面で見れば非常に悪徳ビジネスにも見える。聖書というアメリカの宗教の根源的なものを、資本主義的な側面から多大に覆う。凄まじいアンビバレンツを内包した物語だというのがわかります。

1960年代に聖書というものがどういった意味を持つのか、アメリカの歴史に詳しくない私はその背景を読み取ることは出来ませんが、この作品を見ると、聖書を訪問販売する際に売っていくセールスポイントが面白かった。カラーで印刷されているとか、図版が詳しく掲載されているとか。従来の聖書よりもより読みやすいというところをセールスポイントにしているわけです。でも多分そういったものがなくても聖書って成立するものだと思いますし、言ってしまえばそういったセールスポイントを売っていくのはやはり一種の営業のテクニックなわけだ。

低所得層だからとにかく金がない。押し売りに押されても、今これを買ってしまえば、生活は苦しくなると寸止めで買わない人が多く出てくる。セールスマンたちは好調だったが、映画終盤にはどんどん売れなくなっていって頭を抱えている。

当時のアメリカ社会の縮図が、聖書の訪問販売員たちを撮ることで、露わになる。つまり真にドキュメンタリー的である。そうしたフォーマットというかダイレクトシネマの型のようなものが1969年にはもう既に完成されていたわけですよね。当時はバリバリのフィルム撮影でしたでしょうから、長時間の撮影も大変だったでしょうが、被写体との距離感も、油断している姿へのアプローチも全てが絶妙な加減だということがわかります。この型と、題材の選出と、宗教、資本主義、低所得というものが見えてくる、つまるところ顕になるのはアメリカだということに、ドキュメンタリーを撮ることの意義そのものが見えてくる。

90分くらいの作品ではありますが、ドキュメンタリーの古典作品として語り継がれているのも分かりましたし、それだけの普遍性と鮮度を持ち続けた作品だというのも非常によく分かりました。

いいものを観れた。そして、これを率先して観に行った私も、まあドキュメンタリーが好きで仕方がないんだなと。そこに面白いもの、関心、興味があるのだなと思わずにはいられなかった。いいリトマス試験紙になった映画でした。